2011年12月14日水曜日

デモクラシー・ナウ・ジャパンに字幕付き動画「トロイ・デイビスの処刑迫る」(米国で2011年9月21日に放送)が載りました

デモクラシー・ナウ・ジャパンに字幕付き動画「トロイ・デイビスの処刑迫る」(米国で2011年9月21日に放送)が載りました。

NYタイムズ紙が「悲劇的な誤審」と論じたトロイ・デイビスの死刑判決。有罪判決への疑いのさなか、2011年9月22日、薬物投与による処刑が執行され世界に衝撃を与えました。処刑前日、ジョージア州アトランタからオンエアされたデモクラシー・ナウ!のこのセグメントでは、デイビスの死刑反対運動の両翼を担ったアムネスティ・インターナショナルと全米黒人地位向上委員会(NAACP)の幹部が、事件と裁判のあらまし、米国の死刑制度反対運動について語ります。動画はここから。

2011年12月7日水曜日

速報: ムミア・アブ・ジャマール 死刑の可能性消える 仮出所なしの終身刑に

2011127日のNYタイムズ紙のウェブ版から記事
アブ・ジャマールの死刑執行断念」(By ティモシー・ウィリアムズ)を急ぎ翻訳しました。(訳:大竹秀子)


7日、フィラデルフィアの検察官は、30年前に警官殺しで有罪判決を受けた死刑囚ムミア・アブ・ジャマールの処刑執行への試みを断念することにしたと発表しました。ムミアの無実を主張する訴訟事件は、国際的な注目を浴びてきました。

フィラデルフィア地方検事のセス・ウィリアムズ氏はアブ・ジャマール氏は、仮出所の可能性なしに残りの生涯を獄中で過ごすことになると語りました。

記者会見でウィリアムズ検事は、いまもアブ・ジャマール氏の有罪を信じており、死刑執行がなされるべきだと思う、「判決は適切だった。 この被告にとって順当なものだった」 とし、この決定を「大変に難しい決断だった」と述べました。

2011年12月2日金曜日

トロイ・デイビスの姉 マルティナ・コレイアさん、逝く

トロイ・デイビスさんの姉で「トロイ・デイビス死刑反対」運動の支柱だったマルティナ・コレイアさんが2011121日、亡くなりました。101日トロイの葬儀の日にデモクラシー・ナウ!のエイミー・グッドマンに、無実を訴える運動を続けると語っていた矢先でした。10月3日にオンエアされたトロイ・デイビスの姉のマルティナ・コレイアさん、死刑反対の闘いを続ける決意」の中で10年以上にわたる自らの乳がんとの闘いをふまえて、「生きようとするトロイと私の闘いは、合わせ鏡。体内に流された毒がトロイの命を奪い、私の命を長らえさせる。トロイは私なのです」と語っていました。英文はこちら (翻訳:大竹秀子)
エイミー・グッドマン今日のしめくくりは、トロイ・デイビスの姉のマルティナ・コレイアさんです。車椅子に すわって応えてくださいました。以前は軍の看護師でした。弟の命のために闘いながら、乳がんに対する自分の命への闘いも続けてきました。トロイ・デイビスさんの無実を証明する闘いを今後も続けるのか、聞いてみました。
マルティナ・コレイア: トロイの無実が証明されるまで続けます。そして、トロイを不当に扱った人たちに責任をとってもらいます。皆に正義をもたらします。 のんびり身を横たえて弟の死を無駄にしようとは思いません。

2011年11月26日土曜日

アッティカ刑務所の反乱から40年: 犠牲者多数の鎮圧を賞賛したニクソンとロックフェラー 新発見の録音テープで明らかに

1971913日、非人間的な扱いに抗議して起きたアッティカ刑務所蜂起を鎮圧し、刑務官を含む39人を死にいたらしめた当日の、ニューヨーク州知事ネルソン・ロックフェラーとリチャード・ニクソン大統領との電話でのやりとりの録音テープが発見されました。「殺された囚人は、全員、黒人だったのかい白人も少しはいたのかね?」とニクソンは聞きます。このテープの一部を報道したデモクラシー・ナウ!の番組「アッティカ刑務所の反乱から40年 新発見テープが示す犠牲者多数の鎮圧を賞賛したニクソンとロックフェラー」を全訳しました。司会はエイミー・グッドマンとフアン・ゴンザレスです。(翻訳:大竹秀子)

40周年を期して、ドキュメンタリー映画"The Ghosts of Attica"も公開された。

フアン・ゴンザレス: 40年前の今週、ニューヨーク州北部のアッティカ刑務所で、非人間的な扱いに抗議した囚人たちの蜂起はニューヨーク州の攻撃により終わりを告げました。武器を持たない囚人達は、4日間にわたり39人の刑務官を人質にしました。9月13日、ネルソン・ロックフェラー ニューヨーク州知事は、武装した州警察官に反乱の鎮圧を命じました。州警察は、2000発以上を無差別に発射しました。39人の死者のうち、29名が囚人、10人が刑務官でした。銃撃終了後、警察は数十人の囚人を殴り、拷問にかけました。
エイミー・グッドマン: 襲撃の日のリチャード・ニクソン大統領とロックフェラー ニューヨーク州知事との電話での会話を録音したテープが、発見されました。テープは大統領が暴力的な作戦を熱狂的に支持したことを明らかにしています。ロックフェラーは大統領に、攻撃前の想定では300人を超える囚人が殺害される可能性もあったのだが敢えて作戦を決行したとうちあけています。マンチェスターのニューハンプシャー大学の歴史学者、テレサ・リンチがこのテープを発見しました。

2011年11月25日金曜日

アッティカ刑務所暴動から40年:ブラックアジェンダ・ラジオ解説:ブルース・A・ディクソン

1971 年ニューヨーク州のアッティカ刑務所で起きた暴動は、「19世紀末に行われたインディアンの虐殺を除き、この4日間の刑務所暴動を終息させた州警察による強襲は、南北戦争以来アメリカ人の間で生じた最も血塗られた1日であった」と言わしめる惨状で終わった。それから、40年、ブラックアジェンダ・ラジオのブルース・ディクソンの解説です。音声は、ここから。(翻訳:大竹秀子)


40年前の今週[9月9日の週]、ニューヨーク州北部のアッティカ刑務所の囚人たちは自らの命と運命を危険にさらした。1200人収容を意図して設計された刑務所には、当時、その2倍近くが押し込まれ、囚人達は、シャワーは週1回、月1ロールのトイレットペーパーに制限されていた。何の理由もなく突然殴られたし、ムスリムへの宗教的な差別がはびこっていた。

「我々は人間だ。獣扱いはたくさんだ」と、囚人代表は宣言した。

2011年11月7日月曜日

スポンサー制度は問題! マーティン・ルーサー・キング師の記念碑とキング師を愛する ヒップホップ

ハリケーン・アイリーンの到来で延期されていたマーティン・ルーサー・キング師の記念碑の落成式が1016日に開催され、オバマ大統領や公民権運動の活動家が演説し、スティービー・ワンダーやアレサ・フランクリンがパフォーマンスを行ない祝賀ムードを盛り上げました。しかし、記念碑を問題視する人もいます。キング師が特に晩年に精魂かたむけた反戦や貧困との闘いの精神がワシントンでまったくいかされていない現在、記念碑はキング師の精神的遺産を葬り政治的に安全な偶像と化す欺瞞だとみるのです。ここでご紹介するのは、企業によるスポンサー制度を軸にキング師とヒップホップのブランド化を批判する「ブラックアジェンダ・ラジオ」のジャレッド・ボール(2001年8月31日に放送)の声です。(訳:大竹秀子)


 どんな運動にもシンボルとアイコンがある。だが、シンボルやアイコンは背景情報と内容から切り離されるとただのブランドになってしまう。 ブランドとは批判的思考を避けてできあいの欲望や想像に基づく記憶、都合の良い態度を見る者に引き起こすために使われるシンボルだ。 企業ヒップホップがキング師を歌うのは、首都ワシントンに建てられたキング師の記念碑への企業のスポンサーシップと同じで、キング師の革命的な意義を消し去り、変革的な内容を切り除き、キング師を我々のではなく彼らのイメージと目的に合わせてブランド化し直すのが目的だ。

2011年11月2日水曜日

コーネル・ウェスト:”キング師は草場の陰で泣いている”

2011年8月25日付ニューヨークタイムズ紙に掲載されたコーネル・ウェストの「キング師は草場の陰で泣いている」(Dr. King Weeps From His Grave”)を訳してみました。(大竹秀子)



マーティン・ルーサー・キング・ジュニア師の記念碑が日曜にナショナルモールで除幕された。ミシシッピー州でのエメット・ティル殺害からちょうど56年目、仕事と自由を求めた歴史的なワシントン行進から48年目にあたった。原注:ハリケーン・アイリーン襲来のため、記念祝典は延期された。
いずれもアメリカの人種と民主主義の怒濤の歴史の記念碑的出来事であり、2008年のバラク・オバマの大統領選出を頂点とした公民権運動の紛れもない成功が、私たちの関心と高揚感をかきたてるのは当然だ。とはいえ私たちは、「アメリカの未来はすべてキング師の衝撃と影響にかかっている」というラバイ・エイブラハム・ジョシュア・ヘッセルの予言的な言葉から逃れられずにいる。
ラバイ・ヘッセルがこの言葉を口にしたのは、キング師の晩年で、白人の72パーセント、黒人の55パーセントがベトナム反戦と米国での貧困の根絶に向けたキング師の取り組みに反対していた時だった。民主的なアメリカを求めるキング師の夢は、彼自身が言ったように、「根強くはびこるレイシズム、貧困、軍国主義、物質主義」により「悪夢」と化していた。キング師はアメリカを「病んだ社会」と呼んだ。1968年、暗殺されなかったら、次の日曜には「アメリカはなぜ、地獄に落ちかねないか」という説教をする予定だった。

2011年10月17日月曜日

コーネル・ウェスト 最高裁で逮捕

2011年10月16日付けThe Rootの記事の’翻訳です。原文リンク(ここから)でビデオも見られます。(翻訳:大竹秀子)



ワシントンで開かれたマーティン・ルーサー・キング牧師の記念碑完成式典に出席したプリンストン大学教授のコーネル・ウェスト氏は、暗殺された公民権運動の指導者に触発され、大義のために刑務所入りも恐れなかったキング師の行動をなぞりました。ウェスト氏は企業の政府への影響に反対して最高裁前の階段でデモを行っている最中に逮捕されました。

2011年10月8日土曜日

デモクラシー・ナウ!ジャパン 特別番組:トロイ・デイビス処刑の夜──無実の訴え 世界各地で高まる支援の声も空しく ジョージア州が死刑を執行

デモクラシー・ナウ!ジャパンのサイトに「特別番組:トロイ・デイビス処刑の夜──無実の訴え 世界各地で高まる支援の声も空しく ジョージア州が死刑を執行」(日本語字幕付き動画)が掲載されました。(大竹秀子)






42年の生涯のほぼ半分を死刑囚監房で過ごしたトロイ・デイビスさんが、2011921日午後118分、亡くなりました。死亡診断書に記された死因は、「殺人」。手をくだしたのは、ジョージア州。薬物注射による死刑が執行されたのです。デモクラシー・ナウ!では、2007年以来、無実を訴えながら3度も処刑寸前に追い込まれたデイビスさんの支援活動を克明に追ってきました。921日には処刑予定時刻の午後7時をはさみ、ジョージア州ジャクソンの刑務所敷地内で午後6時から8時まで特別番組の放送を計画していました。7時をまわった頃、歓声があがり、連邦最高裁判所が処刑延期を命じたと信じた人々は、喜びでわきたちました。しかし、これは誤報とわかり支援者たちは一縷の希望にすがりながら最高裁の最終決定を待ち続けました。、結局、6時間連続の生実況放送になった特別番組。翌朝の22日の番組で放送された、処刑の夜のハイライト特別レポートをお届けします。続きと動画は、デモクラシー・ナウ!ジャパンのサイトから。

2011年10月2日日曜日

トロイ・デイビスの葬儀:「闘いをあきらめないでください」

2011年10月1日、トロイ・デイビスの葬儀がジョージア州サバナで行われました。以下は、CNNの報道記事を一部、翻訳したものです。(大竹秀子)

家族と友人、葬儀でトロイ・デイビスの生涯を祝う
By モニ・バス CNN
英文記事は、ここ

(CNN) -- 10月1日トロイ・アンソニー・デイビス追悼の集いを死刑をめぐる熱い政治が彩ることになるのは、避けがたいことでした。
ジョージアの死刑囚監房で、20年間無実を叫び続けたデイビスに耳を傾けた数百万の支援者たちは、921日の夜の死刑執行は、州は誤まちを犯したと 信じています。
1日の土曜日、デイビスの遺族と親しい友人たちは、彼の生涯を祝すためにジョーンズビル・バプティスト教会に集まりました。
閉じた棺を大量の花が覆っていました。傍らには写真が2 -- カラーの1枚は、サバナのクローバーデイルで育った少年時代のポートレイト、白黒のもう1点は、殺人事件の裁判に出席した時のスーツ姿の青年の写真です。
出席した人々は、「トロイ・デイビスは私」というスローガンを何度も繰り返しました。助命嘆願のキャンペーンに使われ、ソーシャルメディアネットワークで蔓延したスローガンです。
「本日のプログラムの最後の2行を見てください。トロイ・デイビスは私。私は自由」とNAACP(全米黒人地位向上協会)会長のベンジャミン・ジェラスは語りました。

2011年9月24日土曜日

NAACP: トロイ・デイビスのご家族にお悔やみのメッセージを送りましょう

10月1日にジョージア州サバンナで埋葬されるトロイ・デイビス。NAACP(全米黒人地位向上協会)では、ご家族にお悔やみを送るよう呼びかけています。以下、翻訳してみました。(大竹秀子)




NAACPのお悔やみサイトより:
10月1日土曜日、トロイ・アンソニー・デイビスはジョージア州サバナで埋葬されます。 トロイの処刑をもたらした、正義を欠いた司法は、全世界の注目を集め、彼の事件は米国で死刑反対運動を再燃させています。
しかし、トロイ・デイビスの名が世界的に有名になるまでには、正義を求めるご家族のたぬまぬ努力がありました。 中でも、トロイのお母さん、姉妹、甥の皆さんは何年にもわたり、トロイの事件をめぐる疑惑が世に広く知られるよう、努めてこられました。 NAACP (全米黒人地位向上協会)は、正義を求めるご家族の活動を称え、この深い悲しみの時に、ご家族への支援を惜しみません。
デイビスのご家族にお悔やみと支援を述べるメッセージを送りましょう。 皆さんからのメッセージは、NAACPのメンバーが、ご家族に直接お届けします。


メッセージを送りたい方は、NAACPのメッセージサイトここ)から
国名を選び、後はメールアドレス ファーストネーム 姓
zip codeは郵便番号のこと(試してないのでわかりませんが、日本の郵便番号が使えないようなら、適当に10003とかいれてください)。そしてメッセージ。英語のお悔やみのことばをウェブで探してもいいし、無難かもしれないけれど、I am so sorry for your loss. My thoughts are with you in this time of sorrow.などと、入れるといいのかも。皆さん、工夫してくださいね。

最後にSubmit Formをクリックすれば、NAACPに届きます。

2011年9月20日火曜日

トロイ・デイビス処刑予定前夜に:NAACPから祈りと断食、思索、正義への闘いへの呼びかけ

トロイ・デイビスの処刑が’予定されている2011年9月21日(明日)に向け、NAACP(全米黒人地位向上協会)のベン・ジェラス議長から、祈りと断食、思索、正義への闘いへの呼びかけです。急ぎ、翻訳しました。(2011年9月20日。翻訳:大竹秀子)



(9月21日 8:10PM米東部時間):トロイ・デイビスの処刑は、連邦最高裁判所が弁護側とジョージア州の言い分を再検討し、延期に価するかを裁定するために、一時猶予中。今晩のうちに裁定を出すか、1週間中に出すか、予断を許さない状態です。


(9月21日10:40pm米東部時間)残念な結果に。米最高裁、トロイ・デイビスの処刑阻止のため、介入しないと決定。今夜、まもなく、処刑が行われる模様。


速報:米東部時間9月21日午後11時8分、トロイ・デイビスの死刑が執行されました。
「正義を求める闘いが、私と共に終わることはありません。これは、私の前にいた、そして私の後に来るすべてのトロイ・デイビスのための闘いです。私は意気軒昂ですし、祈りにあふれ、心やすらかです。それでも、最後の息が絶えるまで闘い続けます」 トロイ・デイビス 
(9月20日、アムネスティ・インターナショナルUSAに寄せた言葉




私たちが恐れていた最悪のことが、今朝、起きてしまいました。広まる疑惑にも関わらず、ジョージア州の恩赦・仮釈放委員会は、921日に、トロイ・デイビスを処刑するという決定を支持しました。

いまなお、トロイは、「最後の食事」を摂ることを拒んでいます。彼には自分の命は赦免されるという信念があるのです。 
過去に、彼の強い信念は報われました。トロイが前回、処刑に直面した2008年に、看守はトロイの「最後の食事」を運びました。けれども、トロイは口にすることを拒み、刑務所職員たちの目をしっかりと見つめて、これは最後の食事にはならないだろうと言いました。最後の土壇場で処刑は延期になり、彼が正しかったことが立証されました。看守たちはいまだにこの一瞬を、まざまざと思い出すと言います。トロイの深い信念に根ざした瞬間でした。
とは言うものの、今回、ジョージア州がトロイを処刑する気でいる兆しは否めません。ウィリアム・セッションズ元FBI長官からジミー・カーター元大統領まで、あらゆる人々が執行停止を求めているのにも関わらず

2011年9月16日金曜日

トロイ・デイビスと死の政治 エイミー・グッドマン(2011.9.14)

「トロイ・デイビスの死刑執行が迫っている。 アフリカ系アメリカ人であること、白人の警察官殺しの嫌疑だったこと、 ジョージア州にいたこと。これで3ストライク。」デモクラシー・ナウ!のエイミー・グッドマンのウィークリー・ブログを翻訳しました。(大竹秀子)


2011年9月20日朝(米国東部時間)のCNNの速報によると、ジョージア州の恩赦委員会、トロイ・デイビスへの恩赦を否認。処刑は21日、午後7時に執行の予定。


速報:米独立系メディアDemocracy Now! (www.democracynow.org) 、9月21日午後6時から8時まで(米国東部時間)、トロイ・デイビスの処刑予定時間に、特別番組を放送。**下記を受け、放送時間を午後10時まで延長。ここから。


(9月21日8:10PM米東部時間):トロイ・デイビスの処刑は、連邦最高裁判所が弁護側とジョージア州の言い分を再検討し、延期に価するかを裁定するために、一時猶予中。今晩のうちに裁定を出すか、1週間中に出すか、予断を許さない状態です。


(9月21日10:40pm米東部時間)残念な結果に。米最高裁、トロイ・デイビスの処刑阻止のため、介入しないと決定。今夜、まもなく、処刑が行われる模様。


速報:米東部時間9月21日午後11時8分、トロイ・デイビスの死刑が執行されました。

ロイ・デイビスと死の政治: エイミー・グッドマン(Democracy Now! エイミー・グッドマンのウィークリー・ブログ2011.9.14より)(翻訳:大竹秀子)
英語原文はここ


死が喝采を浴びる、昨今の米国だ。 最近フロリダ州タンパで開かれた、共和党の大統領候補討論会の席上、CNNのキャスターが質問した。「医療保険に加入しないことにした人が、もし大病にかかった場合、死ぬにまかせていいものでしょうか?」。「いいとも!」という喝采が即座に会場を埋め尽くした。 別の討論会では、大統領候補に名乗りをあげたリック・ペリー テキサス州知事への質問で、知事が死刑執行を熱狂的に支持しているという話題があがると、知事支援の喝采がおこり、拍手はしばし鳴り止まなかった。 司会をしていたNBCニュース局のブライアン・ウィリアムズは、聴衆の反応を受け、こんな質問で切り返した。「234人が死刑になったと口にしただけでこの喝采です。この『熱狂』は、いったい何でしょう?」(続きは、デモクラシー・ナウ・ジャパンのサイトで、お読みください。)

2011年6月28日火曜日

激論;アミリ・バラカ マイケル・エリック・ダイソン ハーブ・ボイド:マニング・マラブルによるマルコムxの新しい伝記が大きな波紋  

2011年5月19日、マルコムXの生誕86年を記念する日に、デモクラシー・ナウ!で繰り広げられた、マニング・マラブルの新著『マルコムX:作り直された人生』をめぐるアミリ・バラカ マイケル・エリック・ダイソン ハーブ・ボイドの大激論を日本語訳でお送りします。マルコムXの実像と虚像、その生涯の今日的意味を問い直す多くのヒントをはらむ興味深い討論です。(訳:大竹秀子)©Hideko Otake

英語原文は:Manning Marable’s Controversial New Biography Refuels Debate on Life and Legacy of Malcolm X
日本語参照リンク:デモクラシー・ナウ!ジャパンの日本語動画も、どうぞ: 
『マルコムXの自伝』を問い直す マニング・マラブルの新たなマルコム像

マニング・マラブルによる新しい伝記の波紋 マルコムXの生涯と業績に関する議論が再燃
マニング・マラブルが遺した マルコムXの実像・虚像
追悼:マニング・マラブル、その生涯と遺作『マルコムX:創られた人生』
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エイミー・グッドマン:  マルコムXについて、そしてマニング・マラブル氏の新著Malcolm X:A Life of Reinvention, (『マルコムX:作り直された人生』)をめぐる論争について、3人のゲストをお迎えしています。
アミリ・バラカさんは、高い評価を得ている詩人、戯曲家、音楽史家、ニュージャージー州ニューアーク在の活動家です。主要作品には、1969年の戯曲The Death of Malcolm X. (『マルコムXの死』)もあります。Black Fire:An Anthology of Afro-American Writing (『黒い火:アフロアメリカン著作アンソロジー』はじめ、多数の本の著者・編者です。ハーブ・ボイドさんは、ハーレム在の活動家、教師、著述家です。オンラインの紙 The Black World Today のエディターで、アムステルダムニュース紙はじめ多数の出版物に寄稿しています。ワシントンD.C.からはマイケル・エリック・ダイソンさんが参加です。ジョージタウン大学の社会学教授で、Making Malcolm:The Myth and Meaning of Malcolm X (『マルコムを作る: マルコムXの神話と意味』など、多数の著作があります。みなさん、デモクラシー・ナウ!に、ようこそ。アミリ・バラカさん―
アミリ・バラカ:  はい。

2011年6月22日水曜日

アミリ・バラカ:マラブル著『マルコムX:作り直された人生』に怒りの書評

マニング・マラブル著『マルコムX:作り直された人生』に、アミリ・バラカが怒った!Black Bird Press & Reviewに2011年5月10日付けで載った書評をご紹介。(訳:大竹秀子)原文はこちら:http://blackbirdpressnews.blogspot.com/2011/05/amiri-baraka-on-marables-malcolm-x.html

3月30日、私は車を待っていた。その日マニング・マラブルが私の家まで迎えの車をよこし、私たちはコロンビア大学の彼のオフィスで会うことになっていた。マニングは、口述歴史プロジェクトのために、私をインタビューしたがっていた。

彼とは、コロンビアが私の文書をどう扱うかについて話し合うため、2週間前にも会っていた。その席で、この最後のプロジェクトのスケジュールを決めていたのだ。だが、車はこなかった。私は知り合いで友人でもある運転手に電話し、コロンビアまで出向いたが、マラブルの姿はなかった。アフリカン研究学部では、彼の居場所を誰ひとり知らないようだった。そのうちやっと誰かから、マニングが再び入院したと知らされた。

2011年6月7日火曜日

故マニング・マラブル教授の主要リサーチャーが語る、『マルコムX:作り直された人生』

マニング・マラブル著のマルコムXの新しい伝記Malcolm X: A Life of Reinvention.(『マルコムX:作り直された人生』)は、5月19日のマルコムXの生誕86周年を前に「マルコムの顔に泥を塗った」と憤慨する人たちも出てきてブラックコミュニティの中で熱い議論をもりあげました。生前からマニング教授の仕事に注目してきた米国の独立系メディアデモクラシー・ナウ!では、5月19日にこの伝記があらためて火をつけたマルコムX論争に取り組みました。その中から、まずはマラブル教授と共に仕事したリサーチャーの一人、ザヒール・アリ氏のインタビュー(『マルコムX:作り直された人生』:マニング・マラブルが手がけた公民権指導者の徹底的伝記、http://democracynow.jp/dailynews/11/05/19/1)をお届けします。(訳:大竹秀子)
インタビューの英文動画は:http://www.democracynow.org/2011/5/19/malcolm_x_a_life_of_reinvention

フアン・ゴンザレス: マルコムXの生誕86周年を記念するイベントが全米各地で開催されています。マルコム・リトルは、1925年5月19日にネブラスカ州オマハで生まれました。母親のルイーズ・ノートン・リトルにとっては、8番目の子供でした。父親のアール・リトルは、言いたいことを臆せず口にするバプティスト派の牧師で、黒人民族主義者の指導者、マーカス・ガーベイの熱心な支持者でした。1960年代のあるインタビューの中で、マルコムは子供時代について触れています。

2011年6月3日金曜日

マニング・マラブルの遺作『マルコムX:作り直された人生』:序文抜粋

マルコムX研究の第一人者、マニング・マラブル コロンビア大学教授の遺作となった話題の(物議をまき散らしている!)新刊書”Malcolm X: A Life of Reinvention” (『マルコムX:作り直された人生』)の序文から(訳:大竹秀子)



1965年2月21日は、多くのアフリカ系アメリカ人の記憶に深く刻まれている。ジョン・F・ケネディとマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの暗殺がほかのアメリカ人の記憶に刻まれているように。マルコムXの信徒たちは、死後の騒然とした余韻がさめやらぬうちに、「ブラックパワー」というスローガンを受け入れ、彼を宗教色を離れた聖人に祭り上げた。1960年代後半までには、マルコムは一世代すべてにとって、黒人であることの理想の体現者になっていた。W・E・B・デュボイスと、リチャード・ライト、ジャイムズ・ボールドウィンと同じく、彼はレイシズムが黒人たちに課した心理的・社会的な犠牲を弾劾し、妥協のない行動を取った人物として広く敬われるようになった。彼に先立って公民権運動の中心となった、非暴力でミドルクラス指向のニグロ指導層とは正反対の場所にマルコムは位置づけられた。

2011年5月28日土曜日

オシー・デイビス:マルコムXへの弔辞


1965年2月27日に、フェイス・テンプル・チャーチ・オブ・ゴッドでのマルコムXの葬儀で、オシー・デイビスが読んだ弔辞です。2月21日、殺害されたマルコムXの告別式をハーレムの多くの教会は断りました。物騒な殺され方をし、敵も多く、暗殺者の背景もはっきりしないきな臭い段階で、マルコムXに関わる危険を恐れたのです。結局、爆破の脅迫にもめげずフェイス・テンプル・チャーチ・オブ・ゴッドが引き受け、公民権運動の活動家でマルコムX夫妻の友人、ハーレムの住人だったオシー・デイビスが葬儀の司会役を務め、歴史に遺る弔辞を述べました。(訳:大竹秀子)


英文はこちら:http://www.hartford-hwp.com/archives/45a/071.html


ここ—この最後の時に、この静かな場所で—ハーレムは、そのもっとも輝ける希望のひとつに別れを告げることになりました—希望はいまや消え、我々のもとから永遠に去ってしまった。ハーレムは彼が仕事し、もがき闘った場所でした—彼の心が住まい、彼の人々が住む、どこにもまして彼の家でした—ですから、私たちが—ハーレムで—もう一度集い、彼とのこの最後の時を共にするのは、何よりもふさわしいことです。

2011年5月27日金曜日

コーネル・ウェスト:マルコムXと黒人の怒り(抜粋:Part 2)



コーネル・ウェストの代表的な著作"Race Matters"(1994)、「マルコムXと黒人の怒り(Malcolm X and Black Rage)の抜粋試訳Part 2です。扱いを間違えれば火傷する。マルコムXの火のように熱い思想を現代にいかそうとするウェストの意気込みが伝わります。(訳:大竹秀子)
英文は、ここに。http://aad.english.ucsb.edu/docs/west.blk.rage.html



マルコムXの暗殺現場、オーデュボン・ボールルーム跡にできた「マルコムX、ベティ・シャバーズ記念教育センター
(The Malcolm X & Dr. Betty Shabazz Memorial and Educational Center)の壁画(Photo: Hideko Otake)

マルコムXへの現代の注目、特に黒人の若者たちが彼を注目するのは、黒人の怒りを率直かつ雄弁に表現白人、ユダヤ人、韓国人、黒人女性、黒人男性、そしてその他の人々をターゲットにした映画のビデオの中で、そして録音テープでのように)だからであり、また、文化産業向けの売り物になる商品という以上に、その怒りを何かへと導こうとする絶望的な試みだからだと考えていいだろう。黒人の若い世代は、黒人の都市住人としての日々の暮らしの中で、前例のない死と破壊、そして病いの力に立ち向かっている。ドラッグと拳銃、絶望と衰退というむき出しの現実は、むき出しの怒りを生むが、これまでの黒人の代弁者の中で、それに近づいたのは、マルコムXの演説だけだ。しかしながら、心の回心の問題、文化の混成、黒人至上主義、権威主義的な組織、セクシュアリティの境界と限界などはすべて、いまも不気味に立ちはだかっている。マルコムXが黒人の怒りを雄弁に語り、黒人の人間性を肯定して過ごした短い生涯の最後に未解決のまま残していった問題だ。

2011年5月25日水曜日

コーネル・ウェスト:マルコムXと黒人の怒り(抜粋:Part 1)

コーネル・ウェストの代表的な著作"Race Matters"(1994)から、「マルコムXと黒人の怒り(Malcolm X and Black Rage)の章からの抜粋の試訳を2回にわけてお届けします。なお、本書の全訳は、『人種の問題―アメリカ民主主義の危機と再生』(山下慶親・訳、新教出版社)というタイトルで出版されています。(訳:大竹秀子)





マルコムXは、米国史上、かつてないやり方で黒人の怒りを、雄弁に表現した。怒りを伝える彼のスタイルには、煮えたぎる切迫感と無鉄砲な率直さが見て取れた。彼が語った内容は、米国でアフリカ人の子孫が直面している、まぎれもない不条理―黒人の知性、美、特性、可能性への絶え間のない攻撃―を、大半のアメリカ人が認めようとしない、病みつきの拒絶を浮き彫りにした。いかなる代価を払っても黒人の人間性を肯定しようとする心底からの献身と米国社会の偽善を浮き彫りにする途方もない勇気により、マルコムXは、当時もそしていまも、黒人の怒りの予言者になった。

2011年4月26日火曜日

エレイン・ブラウン;ブラック・パンサーを語る Part 2


[続き]




質問15
マサイア資金はどうしたのですかサバイバルプログラムを実施する資金をどうやって得たのですか?

ブラウン行き当たりばったりでしたね。お金は得ていましたけど、きちんとした資金源なんてありませんでした。 政府のお金をもらっていたわけじゃありませんから。最終的には、ある時点で受け取りましたけれど。でも、初期には、政府のお金を受け取るなんていう気はさらさらありませんでしたから。私たちがやっていたのは、基本的にせびったり、借りたり、盗んだり、でした。そうやってお金を手に入れました。できることはなんでもやりました。

マサイアわかりました。 

ブラウン併せて、「寄付」も受け取りました。貧困プログラムで人が「寄付」と呼ぶようなものをもらっていました。食料品の寄付を受けましたし、サービスの寄付も受けました。ある意味で、教会は場所を寄付し、キッチンの使用を提供したわけだし、私たちは皿洗いをし、人々は朝食の調理をボランティアするなどしてサービスを寄付してくれました。そんな風にいきあたりばったりやってました。それでなんとかやってました。地域社会を取り込んでいく取り組みでした。でも、まあおおまかにいえば、せびって、借りて、盗んでいたといえますね。

エレイン・ブラウン;ブラック・パンサーを語る Part 1


エレイン・ブラウンは、元ブラック・パンサー党のメンバー。一時は、議長も務めました。著述家でシンガーでもあり、長年にわたり、「刑務所での権利を尊重する連合(Concerned Coalition to Respect Prisoners’ Rights)」などの団体を創設し、囚人や刑務所での権利を擁護する活動に力を入れています。ウェブサイトでみつけたこのインタビューは、PBSのドキュメンタリー番組「アイズ・オン・ザ・プライズⅡ」のために実施されたものを無編集のまま、アーカイブス用に書き起こしたものとみられます。撮り直しが行われたらしく、質問や回答に若干のダブりがみられるところもありますが、エレイン・ブラウンの「正直」な発言が聞かれ、ブラックパンサーの大変、貴重な記録です。(翻訳:大竹秀子)

                          
編集者注:インタビュー実施者:Blackside, Inc。実施日:19881014日。ワシントン大学図書館、フィルムとメディア・アーカイブ、ヘンリー・ハンプトン・コレクション。書き起こしには最終プログラムに登場しない素材も含まれます。

質問1

ルイス・マサイア 組織の中にいたあなたの目からみて、ブラックパンサーは、どんな人たちだったのですか以前あなたは、ブラックパンサーはいろいろな階級の結びつき、ストリートキッズもいれば、高学歴の人もいたと言いましたね。その辺のことを話してください。

エレイン・ブラウン いろいろな人たちがいましたが、階級の結びつきと呼べるかどうか。なぜかというと私たちの分析によれば、たとえば、黒人(ブラックピープル)はブルジョワ層にはいりませんから。ブルジョワ階級を私たちが代表するとはいえなかった。でも、ブラックパンサー党には幅広い層の人たちがまじりあっていたのは確かです。私たちは全員が皆、ユニークでした。ひとりひとりが、個性的だったと思います。出身地もばらばらでした。たとえば、ジョン・ハギンズ[注1]はニューヘイブンの出身で、ミドルクラスの出と言えた。かと思うと、バンチー・カーター[注2]は、ロサンゼルスのストリートキッズでした。ほかの人たちはその間のどこかにばらばらと位置していました。私たちは、いまではアンダークラス(底辺層)とよばれるようになった人たち、私たちがルンペン・プロレタリアートと呼んだ人たち、ストリートキッズ、最貧困の労働者階級の人たちを一番引きつけたといえると思います。




2011年4月19日火曜日

イザベル・ウィルカーソンとの対話:「タビス・スマイリー」ショーより


「タビス・スマイリー」ショー: ゲスト:イザベル・ウィルカーソン
20101223日放送

http://www.pbs.org/wnet/tavissmiley/archive/201012/20101223_wilkerson.html

イザベル・ウィルカーソンの新著"The Warmth of Other Suns”(ほかの太陽のぬくもり)は、2010年に誰もが読めるアフリカン・アメリカン史、ひいては米国史の大きな収穫として話題を呼んだ本でした。正味500ページを超える大著ですが、南部から北部へと600万人もの黒人が移動し国のありようを変えた大きな事件を、移動した人、ひとりひとりの物語をまるで映画のシーンのようにきめ細かくまざまざと描くことにより、共同体のソウルフルな叙事詩に変えてくれます。


たまたまいま読み返しているサスキア・サッセンの"Globalization and Its Discontents"の序文で、アッピアがこんなことを言っているのをみつけました。「記録された歴史を通して、男と女は大変な距離を旅してきた・・・交易、帝国、改宗を求めて、奴隷として・・・そうして、遠く離れた場所のものと思想をあわせて、多くの場所の物質的・精神的文化が築かれた」。公民権運動の前兆としての、そしてもしかしたら、その後のグローバリゼーションのお膳立てにもなっていったかもしれない、19世紀末から1970年代までの黒人たちの大移動の歴史が、いま書かれ語られることの意味も考えさせてくれるインタビューです。(大竹秀子)







イザベル・ウィルカーソンはニューヨークタイムズ紙のシカゴ支局長時代、黒人女性として初めてジャーナリスト部門でピュリッツァ賞を受賞しました。調査報道で受賞した初の黒人米国人でもありました。独特な物語風のスタイルで知られるウィルカーソンは社会政策問題に関して広範な著述を行い、ボストン大学はじめいくつかの機関で教鞭をとってきました。ジャーナリズムにとりつかれたのは、ハイスクールの生徒だった時。故郷ワシントンDCのハワード大学に進学したのも、候補として考えていた大学の中でこの大学の新聞がひときわ優れていたからでした。"The Warmth of Other Suns”(ほかの太陽のぬくもり)は、初めての本です。



タビス・スマイリー イザベル・ウィルカーソンは、ボストン大学のジャーナリズムの教授で、1994年にアフリカ系アメリカ人として初めてピュリッツァ賞ジャーナリストを受賞しました。新著の、"The Warmth of Other Suns: The Epic Story of America's Great Migration”(『ほかの太陽のぬくもり: 米国最大の移動の叙事詩的な物語』)が話題です。イザベル・ウィルカーソンさん、まず、おめでとうございます。番組にお迎えできて光栄です。

イザベル・ウィルカーソン 声をかけてくださってありがとうございます。

タビス いいえ、こちらこそ。「超ビッグ」ですね。どのくらいビッグかというと、ニューヨークタイムズ紙のベストセラーになり、ニューヨークタイムズ書評セクションの表紙を飾りました。いま、皆がこの本の話をしています。「いま」という言葉を強調したい。誰もがいまこの本の話をしています。でも、あなたご自身は、この物語―米国のありようのまさにその震源地ともいえる物語―を語るために、長年にわたる規律と勇気と確信と献身を捧げてきた。

この移動がなければいまの米国はなかったでしょう。でもこの物語を書くためにあなたは人生の15年間を費やした。あなたを困らせようと思って言うわけではないんですよ。でも、この米国の物語を語ることの重要性を思えば、これまでこんな風に語られたことがなかったことがむしろ不思議です。この物語にこれまで誰も手をつけなかったのは、なぜだと思いますか?