2011年6月28日火曜日

激論;アミリ・バラカ マイケル・エリック・ダイソン ハーブ・ボイド:マニング・マラブルによるマルコムxの新しい伝記が大きな波紋  

2011年5月19日、マルコムXの生誕86年を記念する日に、デモクラシー・ナウ!で繰り広げられた、マニング・マラブルの新著『マルコムX:作り直された人生』をめぐるアミリ・バラカ マイケル・エリック・ダイソン ハーブ・ボイドの大激論を日本語訳でお送りします。マルコムXの実像と虚像、その生涯の今日的意味を問い直す多くのヒントをはらむ興味深い討論です。(訳:大竹秀子)©Hideko Otake

英語原文は:Manning Marable’s Controversial New Biography Refuels Debate on Life and Legacy of Malcolm X
日本語参照リンク:デモクラシー・ナウ!ジャパンの日本語動画も、どうぞ: 
『マルコムXの自伝』を問い直す マニング・マラブルの新たなマルコム像

マニング・マラブルによる新しい伝記の波紋 マルコムXの生涯と業績に関する議論が再燃
マニング・マラブルが遺した マルコムXの実像・虚像
追悼:マニング・マラブル、その生涯と遺作『マルコムX:創られた人生』
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エイミー・グッドマン:  マルコムXについて、そしてマニング・マラブル氏の新著Malcolm X:A Life of Reinvention, (『マルコムX:作り直された人生』)をめぐる論争について、3人のゲストをお迎えしています。
アミリ・バラカさんは、高い評価を得ている詩人、戯曲家、音楽史家、ニュージャージー州ニューアーク在の活動家です。主要作品には、1969年の戯曲The Death of Malcolm X. (『マルコムXの死』)もあります。Black Fire:An Anthology of Afro-American Writing (『黒い火:アフロアメリカン著作アンソロジー』はじめ、多数の本の著者・編者です。ハーブ・ボイドさんは、ハーレム在の活動家、教師、著述家です。オンラインの紙 The Black World Today のエディターで、アムステルダムニュース紙はじめ多数の出版物に寄稿しています。ワシントンD.C.からはマイケル・エリック・ダイソンさんが参加です。ジョージタウン大学の社会学教授で、Making Malcolm:The Myth and Meaning of Malcolm X (『マルコムを作る: マルコムXの神話と意味』など、多数の著作があります。みなさん、デモクラシー・ナウ!に、ようこそ。アミリ・バラカさん―
アミリ・バラカ:  はい。


グッドマン: —マルコムX生誕86年にあたる今日、私たちは彼の何を理解すべきだと思いますか?
バラカ:  マルコムが米国社会全体に与えた影響を理解すべきです。マラブルの本で私がひっかかる問題の一つは、黒人解放運動が米国社会に最大の影響を与えたことをマラブルが理解していないことです—CP(アメリカ共産党)[注1]でもDSA(アメリカ民主社会主義者))[注2]でも、その他のいかなる社会民主主義グループでもなく、影響を与えたのは黒人解放運動です。黒人解放運動やマルコムX、マーティン・ルーサー・キングのような存在がなければ、オバマも存在しなかったでしょう。闘いのたまものなのです。それなのに—ネイション・オブ・イスラムをセクトと呼んだり、マルコムは歴史を愛していたが歴史家ではなかったなどとみくびったことを言う。マラブルがもっていた階級差別の現れです。マラブルに楯突くつもりはないんですよ。彼は友人でした。彼が亡くなる前日も、彼のオフィスに行ってました。私が言わんとすることはわかるでしょう?でも、彼は明らかに黒人解放運動を侮辱しています。
ネイション・オブ・イスラムがマスコムXを殺したように見せようとしています。でも、それは真実ではありません。マルコムXを殺した連中は彼を殺す最大の機会をもっていた人たちです。マラブルは、殺し屋のひとりは私の町、ニューアーク市をいまもうろついていると言っています。だったら、そいつが誰だか警察に聞いてみるといい。警察がやるべき仕事です。警察の尻を叩くべきですね。
ところが、マルコムを「等身大の人間」として描くと称して、マルコムに関する証明されていない事実無根の細々としたことをあれこれ付け加える。ホモセクシュアリティ[注3]がどうしたとか、ベティがあの愚か者のケニヤッタ[注4]と浮気したとか、私はそんな告発を心配してるんじゃありませんよ。だって、証拠はまったくありません。ただの憶測にすぎない。なぜ憶測を取り上げるんでしょう?そうでしょう?
私と妻はFBIから3000ページの情報を得ました。FBI は最初はそんなものは存在しないと言い張りましたが、アレン・ギンズバーグの弁護士に頼んで私に関するファイルを手にいれました。1ページにつき10セント、払わされましたがね。でも、妻のアミナが、こう言ったんです。「黒塗りでこんなに消されてる—でも消されてないところについても心配しなくちゃ。だって彼らがそれをあなたにそれを読ませたいわけでしょ。そこを読ませてあなたの考えをねじまげようとしてるかもしれない。だから、私は読むのをやめました。それと、同じだと思うんです。マラブルの、ちょこっとしたおいしい情報の出元はどこか?FBI、 CIA、ニューヨーク警察、 BOSS、そして彼を憎んでいた連中です。そして—
グッドマン:  「ちょこっとしたおいしい情報」というと?
バラカ:  え、何ですか?
グッドマン:  「ちょこっとしたおいしい情報」とは?
バラカ:  噂、証拠のない噂です。
グッドマン:  何についての?
バラカ:  マルコムとベティの夫婦関係のことなんかです。皮肉なめぐりあわせですが、私は1ヶ月前に彼のジャーナル[注5]についてマラブルに手紙を書いていたんですよ。トマス15X[注6]のロングアイランドのマルコムの家を[注7]燃やしたのは自分だと言う言葉が引用されていたからです。だから、手紙にこう書きました。「マルコムの敵だと公言している人物の言葉を何で取り上げるんだ」と。キャプテン・ジョセフ[注8]にしたってそうです。テレビに出演して、マルコムをベネディクト・アーノルド[注9]と呼びました。マラブルの報告には一貫性がありません。なぜなら、彼の意識は別のところにあるからです。
ホアン・ゴンザレス:  おもしろいですね。あなたがこの本について書かれた批評をいくつか読んだのですが、あなたはこの本の根源的な欠陥はマニング氏が[民族]自決の闘いを理解していなかったことだと考えていますね。
バラカ: その通りです
ゴンザレス: —米国内でのアフリカ系アメリカ人の自決です。.
アミリ・バラカ:  そうです。
ゴンザレス:   そして彼を人間として描こうとして、本当の政治的問題を脇に寄せてしまった—
バラカ:  その通りです。
ゴンザレス: —ネイション・オブ・イスラムが提起していた問題です。
バラカ:  まさにその通りです。なぜなら、マニングにとっては左派が―トロツキストからCP、DSAまで何でもはいります―政治的に、より重要なのです。 マラブルは数年間、DSAの副総裁だか副議長でしたからね。
ゴンザレス:   DSAとは「アメリカ民主社会主義者」のことですね。
バラカ:  はい。ですから、彼は文字通り、あの左派、レーニンが社会民主党からソ連共産党に改名した時に否定した[注10]民主社会主義の信奉者でした。マラブルは社会民主党の方が政治的により重要だと考えたのです。マラブルは、マルコムは歴史を愛したが、歴史家ではなかったなどという言い方をする—学術界で歴史家という肩書きを得たら、一生懸命歴史を学ぼうとしている人よりも歴史をより良く理解できるっていうんですか?そんなの階級的な偏見です。
グッドマン:  マイケル・エリック・ダイソンさんに議論に加わってもらいましょう。ジョージタウン大学の教授です。マルコムXについてどう思うか、そしてアミリ・バラカさんが、マラブル氏の著『マルコムX: 作り直された人生』への批評で語っていることについて、意見を聞かせてください。
マイケル・エリック・ダイソン:   マルコムXは、卓越した人物でした。マニング・マラブル氏ご本人がこの番組「デモクラシー・ナウ!」に出演した際、20世紀の黒人が生んだもっとも卓越した人物だ、とおっしゃってました。ですから、マニング・マラブル氏が、マルコムXは20世紀が生んだもっとも卓越した黒人だと信じていたことを裏付ける証拠に不足はありません。それがすべてを語っており、彼自身の理解と意識を語ってあまりあると思います。
アミリ・バラカ氏は天才です。疑問の余地はありません。でも彼の論点には、失礼ながら同意しかねます。なぜなら、ここで問題なのは、マニング・マラブル氏の意識ではないと思いますから。ここで問題なのは、事実です。ここで問題なのは、枠組みです。バラカ氏の、事実を伝え構築する枠組みに注目すべきだという指摘は、まったくその通りだと思います。データのシンフォニーをひとつにし、マルコムとは誰であるかという感覚を我々に与えてくれる、分かりやすく一貫した論を編成する枠組みです。
反知性主義は、この際、関係ないと思います。歴史の専門化と学問への囲い込みは、確かに問題です。でも、その答えは、我々自身の歴史理解と解釈の糧になる、複数の情報源について、できるだけ広範で人間的になり、読みこなせるようになることだと思います。こんな風に分派にわかれて、我々と彼ら、歴史をいきた人と歴史を学ぶ人との、二元論的な違いに注意を喚起するよりも。歴史のまっただ中を生きている場合には絶対そうだと思いますね—マニング・マラブル氏は、マルコムXは歴史家ではなかったと言いましたが、彼の人格をけなすつもりなどこれっぽちもありませんでした。彼が言わんとしたことは、歴史家とは広範な事実と現象に注目し、それを体系化し、出来事の意味ある解釈となる言説を編み出す人を指すと言うことです。マルコムXの人格をけなそうとしているわけではありません。
バラカ:   じゃあ、フィデル・カストロも歴史家ではなかったと思うんですか?
ダイソン:  え、何ですか?
バラカ:  いや—私は、そのような形式的な学問的な定義のことを言っているんです。あなたはデータと言いましたけど—事実というなら、証明されてもいない憶測を取り上げることが、まず、私には疑問です。.
ダイソン:   OK、わかりました。でも—
バラカ:   こういった情報は、マルコムを殺した人物が情報源です。
ダイソン:  それは、わかります。でも、私があなたに言いたいのは—私が言いたいのは、それは歴史の公式な理解ではないということです。相対的に公正な考え方をする人—客観的とは言ってませんよ。人類の歴史の流れの外に位置する客観的な見解はありえないことは自明ですから—でも、関与し、理解し解釈しようとする人物が必要です。.マニング・マラブル氏が、それにふさわしい意識の持ち主ではなかったなどというのは、マルコムXがまさに反論したタイプの教条的なセクト主義です。
アミリ・バラカ:  へえ。
ダイソン:  マルコムXは黒人の統一について語った時、そんなものを超えて手を結ぼうと言いました。マニング・マラブル氏についてバラカ氏が、マラブル氏はレーニン主義に対し民主社会主義者だったと主張し、意識について問うというなら、究極の黒人民族主義者の意識は、マルクスというヨーロッパの理論家によって知識を与えられたのでは、なかったのですか?必ずしも黒人の暮らしのあらゆる要素を考慮にいれず、実践を行った人々です。ですから、あなたがさらにマニング・マラブル氏は—
バラカ:  レーニンは革命的でしたよ。毛沢東も革命的でした。
ダイソン:  あなたが、マニング・マラブルは—何て言いました?
バラカ:  レーニンは革命的だったと言いました。革命を起こしました。毛沢東も革命的でした。革命を起こしました。
ダイソン:  私が言いたいのは、ただ—
バラカ:  フィデル・カストロは革命的でした。革命を起こしました。
ダイソン:  それを否定するつもりはありません。でも、もしあなたが言いたいのが—
バラカ:  ホーチミンは革命的でした。
ダイソン:  マニング・マラブル氏は黒人民族主義の流れを理解していないと、あなたは非難しているようです。もし、そうなのなら—彼は汎アフリカ主義者としてのアイデンティティについて語り、マルコムXの関与、ガーベイの影響、もしあなたが黒人民衆の解放について語りたいのなら、キングと同様に、マルコムもそれを理解していたと語っています。もしあなたが、マニング・マラブル氏は黒人民衆の解放が、米国人をいまそうであるものにならしめたプロジェクトの中心だということを基本的に理解していないと非難しているのなら、マニング・マラブル氏の著作のすべてが、それを否定すると思います。著作の中で彼は見事を論を展開し、革命について語っていますし—
バラカ:  でも—
ダイソン: —アメリカの意識を変えるアフリカ系アメリカ人の思想の力、アメリカの民主主義を変えるアフリカ系アメリカ人の実践について語っています。
バラカ:  だが、私には彼がいつも —
ダイソン:  ですから、そんな論議にはまったく根拠がありません。
バラカ:   彼は、我々が社会民主主義者になりたいと熱望していると考えています。黒人民族主義は本当は、社会民主主義者になりたがっている、民主社会主義タイプのCPにはいりたがっていると思っています。でも、それは真実ではありません。黒人は—革命的民族主義者の運動は、レーニンが言ったように、革命にとって、より重要です。なぜなら、大切なのは、「形式上、民主主義に関わっている」かどうかではなくて、「帝国主義を弱体化するために、どのくらい寄与したか?」ということだからです。米国で帝国主義を弱体化するためになされたことで、黒人の解放運動を超えるものはありません。私は、それを言いたいんです。そして、彼は、それを理解してません。
ダイソン:   私にはなんとも皮肉に映ります。ほんとに皮肉です。
バラカ:  彼には、わかってませんね。
ダイソン:  .私には、本当に皮肉に思えます。あなたは、いわば、「死んでる白人男性」[注11]を引用して、マニング・マラブル氏の、ある意味、能力のなさを非難しています。まるで、足下に穴を掘って—
バラカ: 民主社会主義者だって、出元は死んでいる白人男性ですよ。私が言いたいのは—
ダイソン: 最後まで言わせてください。最後まで。でも、アフリカ系アメリカ人の意識と文化と実践が行われている足下に穴を掘って、あなたは社会革命と変革の黒人理論家であるアフリカ系アメリカ人たちに反対する死んでいる白人男性の言葉を引用します。あるいは、必ずしもレーニンに由来しない革命について語る有色人種の人々を。 
バラカ:  でも、あなたはもうあの本を読んだのでしょう?本は読んだのでしょう?
ゴンザレス:  すみません。ちょっといいですか—
ダイソン: 本は読みました。もう一言言わせてください。私が言いたいのは—
ゴンザレス:  水を差すつもりはないんですが—
ダイソン:  論点を言わせてください。
ゴンザレス:   議論に水を差す気はないのですが、ハーブ・ボイドさんにもはいってほしい—
ダイソン:   先に論点を言わせてください。
バラカ:  彼はマーティン・ルーサー・キングについて同じような本[注12]を書いてますよね。
ゴンザレス:  ハーブ・ボイドさんにはいってもらいましょう。ハーブ、あなたは—
ハーブ・ボイド:   渦中に投げ込まないでくださいよ。と言っても、実はまったく、平気ですが。
ゴンザレス:  ハーブ、あなたは、マルコムの知り合いでしたね。彼から大きな影響を受けた。
ボイド:   その通りです。
ゴンザレス:  この本を読んでの—大変よく書けた本です。マニング・マラブル氏の分析について —この本をどう読んだか、あなたの分析を聞かせてください。
ボイド:   まったくその通りです、フアン。ひとつには、この本をめぐって議論が盛り上がっている。それは大変、建設的なことだと思います。真実に向かって進む必要があります。でもまず、最初に出た原則の話、上部構造に対する基盤みたいな、話が出ましたが。私は、マルクス主義的な分析として解釈すべきではない思います。でも、この本に関して取りざたされていることのひとつ、ホモセクシュアリティと不貞についてですが、かなり過った、信憑性が疑われる文書に基づいていると思います。
バラカ:  まったくその通りです。
グッドマン:  マニング・マラブル氏の本に書かれていることですね。
ボイド:  ええ、そうです。.  
バラカ:   その情報源ときたら。
ボイド:   まず、1959年3月にマルコムがエライジャ・ムハンマド宛に書いたとされる手紙[注13]の件ですが、ギャリー・ジメットという男が、この手紙のほんものの写しを持っていると言い出した。これは、本の中で厳密に調べる必要がある資料でしたが、十分な調査が行われたようには思えません。手紙に関して、マラブル氏がつけた脚注で出典を探ると、手紙をebayで10万ドルで売ろうとした人物にたどりつきます。手紙が本物かどうか、正統性をきっちりと調べるべきです。
グッドマン:   手紙の内容は?
ボイド: —手紙が語っているのは―
グッドマン: 語っているとされるのは―
ボイド: —ベティとのぎくしゃくした関係です。  
グッドマン:   夫婦関係ですね。.
ボイド: —マルコムはそのことについてエライジャ・ムハンマドに述べています。だから、疑問視してみる必要があります。その文書が本物かどうか、疑ってみる必要があります。不貞とホモセクシュアリティの件については、マルコム・ジャーヴィス[注14]という名の人物が情報源です。自伝では、「ショーティ」とあだ名で呼ばれている人物です。彼はどういう人なのか、なぜ、このような主張をしたのか、もう一度最初から見直す必要があります。なぜなら、白人の顧客を性的に満足させるために、タルカム・パウダーをかけたのはマルコウだと言っていますが、このできごとをジャーヴィスが、自分の目で目撃したはずはないからです。でももしこれで、マルコムがホモセクシュアルだとされるなら、私にいわせれば、ホモセクシュアリティの概念にまったく新しい意味がつけ加わることになると思いますがね。
バラカ:   政治の本の中でそんな話をすることの妥当性がわからない。
ボイド:   ええ。
バラカ:   なんで、そんな話をする必要があるのか?
ボイド:  思うにそれは彼が—
ダイソン:  いいですか。そこなんですよ。
グッドマン:  マイケル・エリック・ダイソンさん?
ダイソン:   あなた方の言ってるのは —
バラカ:   また、死んでいる白人男性の話ですか?死んでいる白人男性の話をもう一度するんですか?
ダイソン: 私が話そうとしているのは、生きている黒人の男性です—生きてる黒人男性の—
バラカ:  あなたがレイシストだとは知りませんでしたよ。レイシストだったとは。
ダイソン:   いいから、話をさせて—
ボイド:   でも、マイケル、マイケル—
ダイソン:  死んでいる白人の男性と言ったのは—死んでいる白人の男性の解釈は、西洋の規範とされている古典と階級について注意を喚起するための有名な定式です。—
バラカ:  でもあなたは、大学で大勢の死んでいる白人の男たちに向かって教鞭を執っているんでしょう?
ダイソン: 最後まで言わせてください。その規範は、意識の構成に影響を及ぼします。でも、私の論点を言わせてください。まず最初に、深く根強い同性愛恐怖症と、人間性をまるごと認めることを拒否するアフリカ系アメリカ人の文化の中にある派閥的な利権について。いつだって黒人の一体化を好んで口にしながら、いつも排除を願うのです—なんとも、まったく。マルコムがハスラーであっても、かまわない。ヒモだっていい。その証拠はどこにあるとはいわない。それについては、自伝の筆記者アレックス・ヘイリーが『自伝』で、誇張して書いた。マルコムは、後の購いの力を証明するために、ハスラーとしての遍歴時代を強調しています。
バラカ:  マラブルの受け売りですね。マラブル、そのままだ。
ダイソン: —エライジャ・ムハンマドの購いの力の強調です。ハスラーについては、まったく問題にしない。でも、同性間の行為の話になると—それも、マニング・マラブル氏が話しているのはマルコムXではなくて、マルコム・リトル時代のできごとです。 エライジャ・ムハンマド師による購いの前に起きた出来事として語っています。
バラカ:  彼はどうやって、知ったんです?どうして事実と言えるんです? 
ダイソン:  ハスラーとして行っていたことの延長上におきたもうひとつのできごととして語っています。事実は—マルコムXの甥のロドネル・コリンズが手紙に書き、マニング・マラブル氏はそれを引用しています。それに、マニング・マラブル氏はそのことを示唆した初めての学者では、ありません。ブルース・ペリーが1991年の本[注15]で書いています。大変、問題のある本ですが―
バラカ:   まさか、あの本を持ち出すとは。
ダイソン:  でも、マルコムは—ペリーの著は大変、問題がある本です。でも、マニング・マラブル氏はまめに調査に出向き、地道に調べました。数百ページの中のたった2ページを—
バラカ:  ペリーはマルコムのことを白い[原注:聞き取れず]と言っています。
ダイソン: —マラブル氏の著は、マルコムXとは誰かを真剣に分析する大著です。ですから、我々がここできちんと腰をすえて—バラカ氏のことは当然、尊敬していますが—マニング・マラブル氏を偏狭なイデオロギー的な色眼鏡、あるいは同様に問題があるゆがんだレンズを通してみたり、マルコムXを同様に問題あるレンズを通してみてしまえば—
バラカ:   いやいや、それはまったく逆です。彼がマルコムを偏狭なイデオロギー的なレンズを通してみているのです。
ダイソン: —マニング・マラブル氏がどんな人であり、マルコムXがどんな人であったか、理解をすっかりゆがめてしまいます。
バラカ:   マニングと私は知り合いでしたよ。
ダイソン: 手元にある事実について、そしてそれをどうやって最高のやり方で解釈するかではなく、イデオロギー装置についてうんぬんする。
グッドマン:  30秒間の休憩をはさんで、続けます。ハーブ・ボイドさんも、どんどん口をはさんでください。
ボイド:   はい、そうします。
グッドマン:  今日のゲストは、ワシントンからマイケル・エリック・ダイソンさん—ジョージタウン大学の教授です。アミリ・バラカさんは、詩人、戯曲家、活動家。ハーブ・ボイドさんは、ハーレム在の活動家、教師、著述家、作家、ジャーナリストです。デモクラシー・ナウ!です。少々、お待ちください。
[休憩]
グッドマン:   ゲストは、ワシントンDCのジョージタウン大学教授 、マイケル・エリック・ダイソン氏、ニューヨークからは詩人のアミリ・バラカさんとハーレム在の活動家で教育者、作家、ジャーナリストのハーブ・ボイドさんです。
ゴンザレス:   ハーブ、はじめは、あなたから。.
ボイド:   いいですよ。
ゴンザレス:  マラブル氏のこの本で、顕著な間違いを25件をみつけたと書きましたね。 
ボイド:   ええ。
ゴンザレス:   いくつかをあげていただけますか?
ボイド:   事実の正誤についてです。—今日では、出版界では、事実をチェックする校閲が、廃棄されるようになっています。私が話している間違いの多くは、優秀な校閲者がいれば、みつかっていたはずです。そのうちのいくつかは、NAACPの創設に関するとんでもない間違いです。アポロ劇場[注16]からホテル・テレサ[注17]までの距離もまったく違っている。まるでハーレムの通りを一度も歩いたことがないみたいです。このようなことは、校閲者がいれば、チェックできていたはずです。
でも、それはそれとして、「死んでいる中国人」つまり、毛沢東の観点にたてば、「百花斉放百家争鳴」[注18]だと思いますね。その種の論議が、展開されています。それは、大変良いことです。振り出しに戻り、自伝に戻ってきちんと論議する必要があると思います。なぜなら、マルコムの伝記はすべて、あの自伝を元に書かれているからです。言い換えれば、もし前提に問題があれば、結論にも問題が生じます。ですから、振り出しに戻る必要があります。
そしてもちろん、デトロイトの弁護士が、オリジナルの草稿を持っています[注19]。.彼との討論で出た話ですが、、彼は—この最初の草稿と出版されたものの説明との間に多くの食い違いをみつけ注記をつけています。多数の矛盾があり、その上、3つの章が抜けていた。—そのうち少なくとも1つの章は—アフリカ系アメリカ人統一機構(OAAU)[注20]の創設を予想させるものです。言い換えれば、マルコムXは1963年の「自業自得」発言[注21]より前に、政治的な傾向に進んでいたのです。
ゴンザレス:  あなたの見るところ、本著のもっとも有意義な貢献、まったく新しい情報あるいは洞察という意味で—
ボイド:   ええ。
ゴンザレス: —これまでのほかの著作に無かったものは?
ボイド:   ひとつには—番組の最初のセクションのゲスト、アリ氏[注22]が指摘していましたが、—マラブル氏は、ほかの多くの伝記作家には近づけなかった資料にアクセスしました。特に遺品などのたぐいです。大きな木箱2箱が到着した時、私はションバーグ黒人文化研究センター[注23]にいたんです。遺族がサンフランシスコのバターフィールズのオークションに出していましたが、ションバーグに戻り、いまもそこにあります。その中に、日記がありました。本著に関してもっとも興味深く、おそらくもっとも大切なことは、マニング氏がこの日記にアクセスしたことでしょう。
そして私が思うに、1964年が、マルコムの人生にとって、もっとも重要な年でした。スパイク・リーは、彼の映画でこの年を、建設的かつ徹底的に扱うチャンスをもてませんでした。マニングは、日記にアクセスでき、一日、一日をチェックできました。私も、ションバーグでその日記を目にする機会がありました。それが本著のもっとも興味深く、啓発的な局面だと思います。マルコムのアフリカへの2回の旅を、たどることができます。彼の政治的な発展と地政学的な状況全体、第三世界との彼のつながりという点で、1964 年はこの上なく重要です。
グッドマン:   アミリ・バラカさん?
アミリ・バラカ:  はい。
グッドマン:  この件で、何か言っておきたいことが??
バラカ:   いえ、興味深かったのは、本の背表紙に—ほら、なんていうんでしたっけ?
ボイド:   推薦広告。
バラカ:  そう、推薦広告が載ってるんですが、書き手が、スキップ・ゲイツとマイケル・エリック・ダイソンと、コーネル・ウェストなんです。スキップ・ゲイツは、ご存じのように、マサチューセッツ州ケンブリッジのレイシズムより、キューバのレイシズムに注目する人です[注24]。.ダイソンは、マーティン・ルーサー・キングに関して、同じようなやり方で彼をこきおろす本を書きました。そして、コーネル・ウェストとは、レフト・フォーラム[注25]で同席したんですが、その時に「コミュニストはどこにいる?」と私が言いましたら  コーネルは、「私はキリスト教徒だからね」と言い放ちましたよ。私が言いたいのは、この3人は、この本の販促にまさにぴったりだということです。なぜなら、3人そろって社会民主主義の出だからです。そして、私がレーニンと毛沢東の言葉を引用すると、死んでいる白人男性の言葉を引用していると言うような人たちなんです—社会民主主義は、第2インターナショナル[注26]でレーニンから分派した人たちのグループです。彼はこのグループを—このグループは社会主義者と自称していますが、実際は、盲目的愛国主義者です。ですから、彼は「民主社会主義者」が政党ではないということを理解していないかもしれませんが、彼らは左派を主張する人たちです。ですが—
ダイソン:  そのこととマニング・マラブル氏が、どう関係あるんですか?マニング・マラブル氏の著書と、どう関係があるんですか、バラカさん?私が言いたいのは—
バラカ:  それが彼だからです。それが彼なんです。
ダイソン:  あなたの論点は、理にかなっているかもしれません。最後まで言わせてください。
バラカ:  それが彼なんですよ。
ダイソン:   あなたの言い分はわかりました—あなたが言っているのは、政治的・イデオロギー的な構造で、それは、理にかなっているかもしれないし、かなってないかもしれませんが、でも、それは、目下の事実とは、何の関係もありません。あなたは、マニング氏には、十分な黒人の意識が欠けていたと非難していますが、その際に引用する人たちの中に黒人はまったく含まれていません。.
バラカ:  いや、私が引用しているのは—
ダイソン:  私が申し上げたいのは、基本的に—
バラカ:  いや、私が言いたいのは、彼が黒人の革命の品位を落としたと言うことです。
ダイソン:  私が申し上げたいのは、基本的にマニング・マラブル氏の本はマルコムXの複雑な肖像で—
バラカ:  でも、事実がほんの少ししかない本です。
ダイソン:  米国社会の中で文化を変えた革命的な力としてのマルコムです。
バラカ:  ええ、でも、事実が含まれていません。仮定と推測を使っています。
ダイソン: 事実に基づいています。もっとも網羅的な —
バラカ: なんとまあ!
ダイソン: —もっとも網羅的な事実分析です—
バラカ:  その事実の出元は?
ダイソン: —マルコムXの網羅的な事実を考慮に入れています。
バラカ:  BOSS? CIA? FBI? ニューヨーク警察?
ダイソン:  ちょっと、ちょっと。聞いてください。 
ゴンザレス:  彼がインタビューした—
ダイソン:  FBI のファイルでさえも、マルコムXの優れた才気を立証しています。彼の質実剛健な生き方、彼が大変、生き生きとした関係とつながりに基づいて、人々との連携を構築していったやり方を—
バラカ:    FBI のファイルを信用しちゃだめだよ、マイケル。
ダイソン: —アフリカ人とアフリカ系アメリカ人との連携です。そのことを証言しています。
ゴンザレス:  アミリさんに質問があるのですが—
バラカ:  はい。
ゴンザレス: —あなたは主に FBI と CIAが情報源と言っていますが、マラブル氏はネイション・オブ・イスラムにいた大勢の人たちにインタビューしています。
ダイソン:  .もれなく、インタビューしました。
ゴンザレス:  ハーマン・ファーガソン[注27]にもインタビューしました。関係がある人には事実上、全員にインタビューしました—
バラカ:  だけど、ほら—私が言いたいのは、そこなんですよ。インタビューする相手がいったい誰なんだか。私は本が出る1ヶ月前に、マラブルに手紙を書きました。彼が、トマス15Xの言葉を引用していたからです。マルコムXの自宅に放火したのは、ネイション・オブ・イスラムだと非難した人物です。「こんな連中のことばを引用するなんて、理にかなったこととは思えない」と書きました。
ボイド:   そうですね。
バラカ:  そうでしょう?私が言いたいのは—
ダイソン:  もし、あなたが—
バラカ:   まあ、落ち着いて。マルコムXがエライジャ・ムハンマドと袂をわかったことを快く思っていない大勢の人たちの言葉を引用したり、実は彼を殺した真犯人である、警察や秘密警察の言葉を引用してしまったら、何もかもが不安定になってしまいます。私はこの本が受け入れがたく、存在理由がないと言っているわけではありませんが、おろか者のチャールズ・ケニヤッタについての根拠のないエピソードを入れて、受けをよくしようとしていると言っているのです。本に少々スパイスをきかせるために、証明もできないのに、ベティ・シャバスについて根拠もないをとりあげる—マルコムについても、殺される前の日に、ある女性と寝たというようなことを言う—しかも、この女性と寝た「可能性もある」というような言い方をする。「可能性もある」なんてよく言える—何で、こんなことを入れなくちゃいけないのか?
ダイソン:  ちょっと、いいですか。
バラカ:  これを事実と呼ぶんですか、マイケル?「可能性もある」なんて?
ダイソン:   大変、興味深いです ——これこそ、まさにマニング氏がやろうとしていたことです—バラカ氏をけなすつもりは毛頭ありませんが—マニング氏がめざしたのは、歴史から個人攻撃を排除することです—なぜなら、もし我々が誰かをそのイデオロギーによって、そしてその認識の狭さによって非難するなら、誰もが、その非難を免れません。バラカ氏も、ボイド氏も、そしてマイケル・エリック・ダイソンも。.
バラカ:  ええ。ええ。ダイソンさんも。その通りです。
ダイソン:   ある意味で、特定の偏見や認識形成から自由な人は、誰ひとりいません。
バラカ:  でも、そこには違いがある。マイケル、違いがありますよ—
ダイソン:   もちまえの—
バラカ:  でも、パイロットと、飛行機について知識をもっている人とは違います。
ダイソン: —誰もが認めるのは、マニング・マラブル氏が、米国史の中でもっともパワフルで革命的な人物のひとりについて、我々に情報を与え続ける仕事を創り出したということです。そして、彼はその仕事を愛していました。あなたに申し上げたいことは、もうひとつのマニフェスト—
バラカ:  レトリック、レトリック!
ダイソン: —マニング・マラブル氏の黒人の意識は、 アミリ・バラカの天才は保護されなければならず、アミリ・バラカの原稿は保存されねばならず、それに形をつけて、体系化する。そうすれば、コロンビアにであれ誰にであれ売れることを理解していた、なぜなら、その力を彼は理解していましたから。
バラカ:  私は彼が亡くなる前日、彼のオフィスにすわっていたんです。亡くなる前日、マラブルのオフィスにすわり、彼を待っていました。家に戻ると、彼の死を知らされました。私はマニングの敵ではありません。一緒に仕事もしました。私は、ただ、あの仕事には賛成しないと言っているだけなんです。  
グッドマン:   残り時間、1分です。
ボイド:   はい。
グッドマン:  ハーブ・ボイドさんに聞きたいです。
ボイド:   はい。
グッドマン:  あなたは、マルコムに会ったことがありますね。
ボイド:   ええ、会いました。
グッドマン:  彼とともに時を過ごした—アミリさんもそうですね。
バラカ:  ええ。
グッドマン:  若い人たちに、マルコムについて特に何を知ってほしいですか?
ボイド:  マルコムXの生涯と遺産について私の基本的な関心のひとつは、まず何より、この本であれ、あるいはその他のどの伝記であれ、どんな内容もマルコムの重要性を減じることはできないということです。何を言われようと、彼はそのすべてを超越しています。—若い人たちは、できる限り多くのことについて意見を戦わせ、挑戦し、読むべきだと思います。「あの本は読まないぞ」と言って脇に追いやってしまうのではなく。そこには大変価値のある何かがあります。明らかに、欠点もあります。我々には皆、欠点があります。マルコムにも欠点がありました。でも、我々は、その長所と短所を理解すべきです。でなければ、先に進めません。前に戻りましょう。過去を現在や未来の糧として、じっくりみましょう。前を向くことはできますが、後ろを振り返って分析する必要があります。そうしなければ、同じ間違いを繰り返すだけです。
グッドマン:  マイケル・エリック・ダイソンさん、10秒でひとこと。
ダイソン:   マニング・マラブル氏の本は、マルコムXの人格を汚すものではありません。彼は、マルコムのことを20世紀のアフリカ系アメリカ人が生み出した最大の偉人だと称賛しています。この本は、黒人、そしてアメリカ人一般に対して革命的な影響を与えた一人のアメリカ人の生涯を再構成しようとする画期的な試みの証言です。
グッドマン:  アミリ・バラカさん。10秒しかありませんが。
バラカ: 私は、殺される前の月にウォルドルフ・アストリア・ホテルで、マルコムに会いました。モハメド・バブ[注28]が泊っていた部屋でした。マルコムが私の心に刻んだことは、統一戦線への呼びかけでした。
グッドマン:   時間が来てしまいました。
バラカ:  統一戦線への呼びかけです。
グッドマン:   マイケル・エリック・ダイソン、アミリ・バラカ、ハーブ・ボイドの皆さんでした。ありがとうございました。

脚注

1)CPUSA(Communist Party of USA: アメリカ共産党)) は、1919年に創立された米国のマルキスト政党。1920年代から1940年代までは、大半の米国初の産業組合創設に大きな影響力を及ぼした。また、冷戦下の反共政策とFBIなどによる激しい妨害作戦により 、党の勢力は激減したが、ベトナム反戦や人種差別反対など活動を続けた。1991年のソ連崩壊後、方向性を探る中、マルキスト党としての存続を再確認し、社会民主主義を奉じる少数分派の離党を促した。

2)DSA(Democratic Sosialists of America:アメリカ民主社会主義者)は、1982年にDemocratic Socialist Organizing Committee (DSOC) と the New American Movement (NAM)が合体して創設された。民主社会主義を掲げる政治団体で、社会民主主義者、民主社会主義者、進歩主義者、労働者政党などを結集しており、社会主義インターナショナルに加盟している。.

3)マラブルの『マルコムX:作り直された人生』には、ボストンの金持ちの老人の家で「執事兼家事手伝い」をしていたマルコム・リトルが、お小遣いをもらって雇い主のセックスプレイに一役買わされた可能性があると記している。バラカが問題にしている箇所は以下とみられる。

That is certain is that sometime in 1944 Malcolm had begun working for Lennon as a “butler and occasional house worker” at Lennon’s Boston home (…) Soon something deeper than an employer-employee relationship developed.(…) The Autobiography describes sexual contacts with Lennon, except that Malcolm falsely attributed them to a character named Rudy:
[Rudy] had a side dealing, a hustle that took me right back to the old steering days in Harlem. Once a week, Rudy went to the home of this old, rich Boston blueblood, pillar-of-society aristocrat. He paid Rudy to undress them both, then pick up the old man like a baby, lay him on his bed, then stand over him and sprinkle him all over with talcum powder. Rudy said the old man would actually reach his climax from that. 
Based on circumstantial but strong evidence, Malcolm was probably describing his own homosexual encounters with Paul Lennon. The revelation of his involvement with Lennon produced much speculation about Malcolm’s sexual orientation, but the experience appears to have been limited. There is no evidence from his prison record in Massachusetts or from his personal life after 1952 that he was actively homosexual (p.66)

[1944年のある時期に、マルコムがボストンのレノンの家でレノンの「執事兼時折の家事手伝い」として仕事し始めたのは確かだ。(中略)まもなく、雇用人と使用人を超えた何かが展開された。(中略)『自伝』では、ルディという人物に起きたことと偽られているが、レノンとの性的な接触が述べられている。
[ルディ] は、私にハーレムでの過ぎし日のやくざな暮らしを思い起こさせる、サイドビジネスをしていた。週1回、ルディはこの年老いた金持ち、ボストン名家の出で、社会の鑑とされている貴族の家に出向いた。彼はルディに金を払い、2人とも裸になった。ルディは、ご老人を赤ん坊のように抱き上げ、ベッドに寝かし、そばに立って、全身にタルカムパウダーを振りかけた。ルーディの話では、老人は、これでクライマックスに達したと言う。 
状況証拠ではあるが、マルコムがおそらく、ポール・レノンとの自らのホモセクシュアル的な接触を語っている証拠は強い。レノンとの関係の開示は、マルコムの性的指向についての憶測を生むが、体験は限られていたようだ。 
マサチューセッツ州の刑務所の記録からも、1952年以降の私生活の記録からも、マルコムのホモセクシュアルな行動の証拠は皆無だ。]

4)チャールズ・ケニヤッタは、元マルコムXのボディガード。マラブルの『マルコムX:作り直された人生』では、1964年の出来事としてマルコムXの妻ベディとケニヤッタについて以下の記述がある。"Within weeks rumors were rife within the OAAU, MMI, and Mosque No. 7 that Betty and Kenyatta were sexually involved, and even planned to marry.” (p.380)[数週間のうちに、OAAU、 MMI、第7番モスクで、ベティとケニヤッタとの間に肉体関係があり、結婚も考えているという噂が飛び交った ]。巻末の注によると、この情報の出典は、FBIファイルとされている。

5)学際的な季刊誌Souls。マニング・マラブルがコロンビア大学で創設したThe Institute for Research in African-American Studies (IRAAS)により、1999年によって発刊され、2002年に同研究所に開設されたCenter for Contemporary Black History (CCBH)の指揮下で、発行されている。

6)トマス15X・ジョンソンは、マルコムXの暗殺犯人の一人として逮捕されたが、一貫して無実を主張している。獄中でカリル・イスラムと改名し、1987年に釈放された。

7)マルコム暗殺の1週間前にあたる1965年2月14日に、ニューヨーク市ロングアイランドのマルコの自宅に爆弾が投げ込まれ、全焼した。現在にいたるまで、犯人は特定されていないが、マラブルは、『マルコムX:作り直された人生』の中で、ネイション・オブ・イスラムの仕業だというトマス15Xの言葉を引用している。

8)キャプテン・ジョセフ(ジョセフX)は、ネイション・オブ・イスラムのキャプテンで、ハーレムの第7モスクをめぐり、マルコムの主要なライバルだった。

9)ベネディクト・アーノルドは、米独立戦争の将軍として戦功をあげ独立に貢献しながら、英軍に寝返った

10)1917年にロシア革命を勝利させたレーニンらロシア・ボリシェヴィキは、それまでの社会主義者の国際組織第2インタナショナルはすでに崩壊したと宣言して、1919年に共産主義インタナショナル=コミンテルン(第3インタナショナル)を結成し、世界革命をめざした。当時、ドイツ社会民主党などが、大衆に開かれた党を主張し、党の指導のもと、個人的に党活動に参加すべきであると考えていたのに対し、「党員は党組織の一部を担う」べきだと主張しつづけていたレーニンは、大衆に開かれた党を官憲に開かれた党であるとし、そのうえで言論の自由のないロシアでは、革命党は職業革命家の党にならざるを得ないとした。レーニンは第三インターナショナル(コミンテルン)結成に際して、「支部承認」を求める組織に「社会民主主義からの訣別の証」として「(国名)共産党・共産主義インターナショナル支部」と名乗ることを義務付けた。

11)「死んでいる西洋白人男性(dead white European male)」は、その頭文字をとって、DWEM(ドゥウェム)としても使われる慣用句。 伝統的に偉大な歴史的人物としてされてきた作家, 芸術家, 思想家などのことを指すが、そうした人物が偉大とされてきたのはヨーロッパ中心, 白人中心, 男性中心の偏見によるものだという批判を込めて使う。

12)マイケル・エリック・ダイソン著の、以下の本を指していると思われる。I May Not Get There with You: The True Martin Luther King, Jr. (『私はあなた方と共にそこにたどり着けないかもしれない:真実のマーティン・ルーサー・キング・ジュニア』

13)2002年6月に、マルコムXが1950年にエライジャ・ムハンマド宛に出したとされる手紙が売りに出されれた。手紙の持ち主は、ギャリー・ジメットという名の人物で、ゴミ箱に捨てられる寸前に、ムハンマドの家族の弁護士が拾い上げたとし、12万5000ドルの値をつけ、競売にかけた。真偽はともあれ、手紙の内容は、性的不一致などの理由で、妻ベティとの関係がぎくしゃくしていることや、マルコム自身の女性関係についての噂などについて述べていた。

14)マルコム・“ショーティ”・ジャヴィスは、マルコムXがムスリムに改宗する前、ボストンでのティーンエイジャー時代の遊び仲間。

15)Malcolm: The Life of the Man Who Changed Black America のこと。

16)アポロ劇場は、1934年に黒人のエンターテイナーを雇うニューヨークで唯一の劇場としてニューヨーク市内の黒人居住地区ハーレムにオープンし、黒人文化の象徴的存在となった。オープン以来、アマチュアの歌手やダンサーが出演する人気イベント「アマチュアナイト」が行われ、プロへの登竜門とされ、エラ・フィッツジェラルド、ビリー・ホリデイ、ジェームス・ブラウン、ダイアナ・ロス、マーヴィン・ゲイ、ジャクソン5、スティーヴィー・ワンダー、アレサ・フランクリン
など多くのスターを輩出してきた。

17)ホテル・テレサは「ハーレムのウォルドルフ」として知られ、ニューヨークでさえ、高級ホテルが黒人客を断っていた時代に、宿泊白人客のほか、黒人有名人が宿泊するホテルとして有名だった。客には、ルイ・アームストロング、ジョセフィン・ベイカー、デューク・エリントン、モハメド・アリ、レイ・チャールズなどがいた。また、1960年に国連を訪問したフィデル・カストロもここに宿泊した。1967年に閉鎖された。

18)「百花斉放百家争鳴」は1956年から1957年に中華人民共和国で行われた政治運動。「中国共産党に対する批判を歓迎する」という主旨の内容で、これを受けて中国国民はさまざまな意見を発表した。だが、百花運動の方針は間もなく撤回され、共産党を批判した者はその後の反右派闘争で激しく弾圧された。

19)デトロイトの弁護士グレゴリー・J・リードは、1992年にアレックス・ヘイリーの資産のオークションで、出版前に削除された未完の三章(The Negro, End of Christianity, 20 Million Muslims)も含めた『マルコムXの自伝』のオリジナルの草稿を10万ドルで購入した。詳細は、以下を参照。「マニング・マラブル死去、歴史学者 マルコムX伝記出版直前に」(デモクラシー・ナウ!ジャパン:2011年4月4日)http://www.democracynow.jp/dailynews/11/04/04/1

20)1964年春のアフリカ訪問中にアフリカ統一機構に強い印象を受けたマルコムXは、帰米後にそれをモデルに汎アフリカ主義組織「アフリカ系アメリカ人統一機構(OAAU)」を創設した。目的は、アフリカ系アメリカ人の人権のための闘い、アフリカ人と南北アメリカのアフリカ系の子孫との協力の促進であった。

21)1963年11月22日、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺から数日後に、新聞記者にコメントを求められたまるこむXは、「鶏がねぐらに帰るように、起こるべくして起こったこと[自業自得、身から出たさびというような意味]」と発言し、米国の国民的悲嘆を逆撫でした。この発言は、エライジャ・ムハンマドによって問題視され、マルコムはNOI から90日間の発言禁止と寺院での布教活動禁止を言い渡された。

22)『マルコムX:創られた人生』 マニング・マラブルによる公民権運動指導者の詳細な伝記(デモクラシー・ナウ!ジャパン:2011年5月19日)http://democracynow.jp/dailynews/11/05/19/1。なお、アフリカンアメリカンフォーカス・ブログ篇に全訳あり。(故マニング・マラブル教授の主要リサーチャーが語る、『マルコムX:作り直された人生』:2011年6月8日) http://aafocusblog.blogspot.com/2011/06/blog-post_08.html

23)フロリダの倉庫で見つかったマルコムXの書簡、演説、写真、日記などは、2002年3月にオークションにかけられそうになっていたが、マルコムXの遺族である6人の娘とニューヨーク公立図書館の一部である、ハーレムのションバーグ黒人文化研究センターとの間で合意が成立し、75年間、同図書館に貸し出されることとなり、2003年から、学者たちに資料として利用可能になった。

24)ヘンリー・ルイス・“スキップ”・ゲイツは、ハーバード大学教授。W・E・B・デュボイス・アフリカおよびアフリカ系アフリカ研究所のディレクター。公共放送(PBS)で、アフリカ系アメリカ人がらみのさまざまな企画番組の常連。中南米諸国での黒人の社会的・政治的・文化的ありようを探求するシリーズ、Black in Latin Americaでキューバを訪れ、同国内での黒人差別を指摘した。

25)レフト・フォーラムは、1960年代に始まり、いまも毎年、春に行われる米国と国際的な左派の、北米最大の会議。

26)1914年の第一次世界大戦開始と共に、第2インターナショナルは、ドイツ社会民主党などの主流派が従来の反戦決議に反して自国の戦争を支持し、分解していった。これら主流派は、戦後、社会主義労働者インタナショナルとして再建され、ドイツ社会反主党やイギリス労働党は、資本主義下の政権にも参加していく。これに対し、ロシア革命を勝利させたレーニンらロシア・ボリシェヴィキは、第2インタナショナルはすでに崩壊したと宣言して、先述のように1919年に第3インタナショナル(コミンテルン)を結成し、世界革命をめざした。こうして、マルクス主義理論は、「マルクス・レーニン主義」の流れと、第2インターの伝統を継承した社会民主主義的マルクス主義とに大きく分裂した。

27)ハーマン・ファーガソンは、マルコムXがネイション・オブ・イスラム離脱から4日後に結成した、ムスリムの団体、ムスリム・モスク・インク(Muslim Mosque, Inc.)の主要メンバー。また、のちには、OAAUのメンバーにもなった。1968年にファーガソンは、黒人公民権団体NAACPとアーバン・リーグの幹部暗殺を計画したとして有罪判決を受け、ガイアナに逃亡し、同地で18年をすごした。

28)アブダルラーマン・モハメード・バブ(1924–1996) は、アフリカ東海岸のインド洋上にあるザンジバル諸島の革命的民族主義者


©Hideko Otake







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