2011年6月7日火曜日

故マニング・マラブル教授の主要リサーチャーが語る、『マルコムX:作り直された人生』

マニング・マラブル著のマルコムXの新しい伝記Malcolm X: A Life of Reinvention.(『マルコムX:作り直された人生』)は、5月19日のマルコムXの生誕86周年を前に「マルコムの顔に泥を塗った」と憤慨する人たちも出てきてブラックコミュニティの中で熱い議論をもりあげました。生前からマニング教授の仕事に注目してきた米国の独立系メディアデモクラシー・ナウ!では、5月19日にこの伝記があらためて火をつけたマルコムX論争に取り組みました。その中から、まずはマラブル教授と共に仕事したリサーチャーの一人、ザヒール・アリ氏のインタビュー(『マルコムX:作り直された人生』:マニング・マラブルが手がけた公民権指導者の徹底的伝記、http://democracynow.jp/dailynews/11/05/19/1)をお届けします。(訳:大竹秀子)
インタビューの英文動画は:http://www.democracynow.org/2011/5/19/malcolm_x_a_life_of_reinvention

フアン・ゴンザレス: マルコムXの生誕86周年を記念するイベントが全米各地で開催されています。マルコム・リトルは、1925年5月19日にネブラスカ州オマハで生まれました。母親のルイーズ・ノートン・リトルにとっては、8番目の子供でした。父親のアール・リトルは、言いたいことを臆せず口にするバプティスト派の牧師で、黒人民族主義者の指導者、マーカス・ガーベイの熱心な支持者でした。1960年代のあるインタビューの中で、マルコムは子供時代について触れています。



ジム・ハールバット: オマハの生まれだそうですね?
マルコムX: はい、そうです。
ハールバット: あなたが1歳の頃にご家族はオマハを離れた?
マルコムX: 1歳の頃だったようです。
ハールバット: オマハを離れたのは、なぜですか?
マルコムX: 私が理解するところでは、クークラックスクランがオマハの家を焼き討ちしたからです。クークラックスクランが、ぞろぞろいましたからね。
ハールバット: それで、ご家族は大変悲しい思いをされた。よくわかります。
マルコムX:悲しいというか、身の危険を感じたということでしょう。
ハールバットX: それだと、あなたはいくらか偏った視点の持ち主に違いありません。個人的に偏った視点、つまり、こういったことをより広い学究的なやり方で見ることができないんじゃないかと?
マルコムX:それは違うと思いますね。なぜなら、オマハで起きたことにも関わらず、そしてその後、ミシガン州ランシングに移った時に、我が家は再び焼き討ちに合いましたし、—父はクークラッククスクランに殺されましたが—そうしたことすべてが起きたにも関わらず、私以上に徹底的に白人と統合した人はいませんでしたから。白人社会の中にいて私ほど垣根がなかった人物はほかにいません。


ゴンザレス: マルコムは学校で優秀な成績をあげていましたが、ドロップアウトし、ドラッグディーラー、ヒモ、泥棒になりました。刑務所で服役中に、ネイション・オブ・イスラムに加わりましたが、この転身が彼の人生を一変しました。彼は、ネイション・オブ・イスラムの全国的なスポークスマンとなり、全米でもっとも重要な黒人指導者の一人になりました。結局ネイション・オブ・イスラムと袂をわかち、アフロアメリカン統一機構を創設しました。マルコムXは1965年2月21日に、オーデュボン・ボールルームで射殺されました。享年39歳の若さでした。暗殺の詳細については、現在にいたるまで論議の的です。
エイミー・グッドマン: 今年早く、Malcolm X: A Life of Reinvention.(『マルコムX:作り直された人生』)という題の重要な新しい伝記が出版されました。この本の著者であるコロンビア大学教授のマニング・マラブル氏は、出版の数日前に60歳で亡くなりました。執筆に20年をかけた600ページ近いこの伝記は、暗殺の状況に新しい洞察を提供すると共にマルコムX自身の自伝に疑問を呈し、マルコムXの生涯を再点検するものと言われています。マニング・マラブル氏は、デモクラシー・ナウ!に何度も出演し、マルコムXの生涯について語ってくださいました。


マニング・マラブル: マルコムXは、20世紀のブラックアメリカが生み出した、誰よりも注目に値する歴史的人物だったと思います。こんなことは軽々しく口にできることではありません。でも、39年間の短い生涯の中で、マルコムは、黒人の都市生活者のアメリカ、その文化、その政治、その好戦性、構造的レイシズムに対する激しい憤りを、そして生涯の終わりには、解放パワーの国際主義的ビジョンをほかの誰よりもみごとに象徴していました。デュボイス、ポール・ロブソン、汎アフリカ国際主義者たちとは国際主義のビジョンを共有していましたし、マーカス・ガーベイとは黒人の強力な機関を構築しようとする熱意と献身を、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアとは、平和と人種化されたマイノリティの自由への尽力を共有していました。彼は、米国の有名人の中でだれよりも早く東南アジアでの米国の役割を攻撃し批判しましたし、1964年に大多数の米国人よりずっと早く、ベトナム戦争に正面きって反対しました。マルコムXは21世紀のグローバライゼーション批判の最先端を代表していると言えます。実際、マルコムは、多くの意味で時代の先を行っていたのです。


グッドマン: 故マニング・マラブル氏でした。マニング・マラブル教授の博士課程の学生の一人で伝記『マルコムX: 作り直された人生』Jの主要なリサーチャーだったザヒール・アリさんを、お迎えしています。ザヒール・アリさんは、公民権活動家マルコムの生涯と遺産に焦点をあてる、コロンビア大学の「マルコムXプロジェクト」のアソシエイト・ディレクター兼上級リサーチャーでした。
今日は、ありがとうございます。恩師で友人、同僚だったマニング教授のご逝去をお悔やみ申し上げます。マニング・マラブル氏はこの本に20年を費やし、ライフワークになりました。この本の最大の焦点は何なのか、マラブル教授は彼の発見の中で何が一番重要だと感じていたか、聞かせてください。
ザヒール・アリ: まず最初に、番組に呼んでくださってありがとうございます。マラブル教授の仕事についてお話できて光栄です。20年間、手塩をかけたお仕事でした。10年間はマルコムの伝記プロジェクトに集中しましたが、マラブル教授がマルコムの生涯に最初にアプローチなさった時には、教授と一緒に研究を始めた時にうかがいましたが、マルコムの政治的な伝記を構想していらしたそうです。『マルコムXの自伝』を読んだ時に、転身についてのパワフルで文学的な物語ではあるけれども、そこにはマルコムが生き活動していたより大きな歴史的な背景も、マルコムがめざしていた政治的なビジョンも欠けていると感じたからでした。そこでごく最初の段階では、マルコムの政治的な伝記を書く意図で取りかかりました。ところが研究が進み、マルコムXプロジェクトがより多くの資料にアクセスできるようになるにつれ、生身の人間としてのマルコムの複雑で入り組んだ、多元的な姿が浮かび上がってきたのです。ですから、マラブル教授が何よりもやりたかったことは、マルコムの等身大のポートレートを提出することだったと思います。ある意味で、この本は一種の偶像破壊であり、マルコムを台座からおろし、彼が身をさらしていた政治的・宗教的な流れの中でもまれ苦闘した一人の人間としての彼を点検することだったのです。
もうひとつのアイディアで、マラブル教授のお仕事という点で強調すべき大変重要なテーマは、マルコムの政治的な進化でした。先ほど流れた映像は、マラブル教授が、その進化が何に向かって進んでいたと感じていたかを垣間見せてくれます。興味深いのは、この政治的な進化が、人々が思っているよりもずっと早くから始まっていたことです。早くも1955年に、マルコムはバンドン会議で進行していたこととつながろうとして、「ハーレムのバンドン」を提唱しました。アフリカとアジア諸国の党首会談にインスピレーションを得て、ハーレムで様々に異なる組織が集結する会合を提唱したのです。すでに1950年代の半ばに海外で起きていたことと国内の動きをつなげていたのです。
全編を通した3つ目のテ―マだと私が考えるのは、1人のムスレムとしてのマルコムの信仰の深化です。これは、マルコム研究においてほとんど語られてこなかったことですが、今日、特に重要だと思います。オバマ大統領は、「ムスリム世界」に向けた重要な演説の第2回をまもなく行おうとしていますが、マラブル教授がここで述べているマルコムの物語は、このアフリカ系アメリカ人ムスリムの経験の重要性を見直し、さらに、その経験がいかにして米国内で生まれているイスラムの伝統と、マルコムが旅をした時につながりをもったグローバルなイスラムの伝統との交差点になっているかを再評価しています。
そして、最後に、もうひとつの重要なテーマは、もちろん、マルコムの暗殺をめぐる答えのない問いです。亡くなる直前まで、マラブル教授はこれまで行われてきた研究を活用し、アクセスが可能になった新しいいくつかの資料を駆使して、暗殺に関する答えのない問いを、そして事件の扱いがいかに異例だったかを浮き彫りにしました。このプロジェクトが終わりに近づくにつれ、教授は暗殺事件の再審を強く願うようになっていました。
ゴンザレス: マニング・マラブル氏がアクセスした新しい資料に基づいたところが多いですよね。アレックス・ヘイリー氏の初稿—アレックス・ ヘイリー氏と共著の自伝—から欠落していた章だけではなく、マルコムがネイション・オブ・イスラムで行った演説にもアクセスすることができた。マルコムの生涯の物語を肉付けしていくという点で、このような新しい資料が果たした重要性について話していただけますか?
アリ: はい。マラブル教授は、最近ようやく—過去5年から10年の間に利用が可能になった資料に取り組んだ最初の学者の一人でした。 いまお話に出た資料に加えて、教授は、マルコムの日記に取り組んだ初の研究者だったと思います。この日記は、ションバーグ図書館のマルコムX文書のアーカイブスを通して、利用が可能になりました。マルコムがネイション・オブ・イスラムにいた時代に行った演説にアクセスできるようになったことから見えてきたことは、たとえば、ネイション・オブ・イスラム内での精神生活の感じをつかめるようになったことです。繰り返しになりますが、これはマルコム研究でこれまで無視されてきたことでした。マルコムは12年間、ネイション・オブ・イスラムという組織の装置の中で職分を果たしていたわけですから。
グッドマン: マニング・マラブル教授は、マルコムXの殺害者が誰だったか、名前をあげていますね。殺害者は誰だったと言っていますか、その証拠は何ですか?
アリ: 教授が利用したのは・・・マルコムの暗殺者として3人が起訴されました。タルマッジ・ヘイヤー、トマス・ジョンソン、ノーマン・バトラーです。マニング・マラブル教授だけではなく、ほかにも数人の学者やその他の人たちが、マルコムの暗殺について調査を行いました。犯罪現場で捕まった唯一の人物だったタルマッジ・ヘイヤーひとりだけが、はっきりと有罪を認め、実際に有罪だったのですが、証拠の多くから見て、ほかの二人、トマス・ジョンソンとノーマン・バトラーは、実は無実だったとみられています。そしてその後—1970年代後半だったと思いますが、タルマッジ・ヘイヤーは、弁護士のウィリアム・クンスラーが取った宣誓供述書の中で、マルコム暗殺計画の陰謀を企て実行にも関わった共犯者たちの名前をあげました。名前があがった人たちについて、マラブル教授は、その人たちがいまどこにいるか、追跡を試みました。そしてタルマッジ・ヘイヤーがリストにあげた人たちと誰が一致しているかを本の中で特定しています。
グッドマン: 誰ですか?
アリ: ニュージャージー州ニューアークの住人です。
グッドマン: 名前は?
アリ: 名前は・・・マラブル教授は、本の中で名前をあげています。教授は、公的な記録を相互に関連づけ、ご自分で行った口述歴史インタビューを根拠になさったと思います。
ゴンザレス: 政府の役割はどうですか?本の中で教授は、暗殺の日に、警察がやったこととやらなかったことについて記していますね。そして、マルコムがいつも、政府は自分を暗殺の対象としてねらっている可能性があるという懸念を抱いていたことも。
アリ: はい、ひとつには、マルコムは自伝に取り組んでいた時、監視のレベルという点で、身のまわりで何がおきていることのいくつかに気づいていませんでした。彼は、自分がどんな種類の監視の下にあるかは知っていましたが、知らなかったこともありました。たとえば、1950年に彼が刑務所の獄中で朝鮮戦争に抗議する手紙を書いていた時、すでに彼の名はFBIファイルに書き込まれていて、これが彼のFBIファイルの1ページ目になりました。彼がマルコムXを名乗る前のことです。FBIはすでに彼を注目し始めていたのです。
そして彼がネイション・オブ・イスラムと共に活動を働き始めてから、1954年に国内各地の寺院の組織化をはかり、第11寺院の設立のためボストンに赴き、ある家族の家で小さな集まりをもち、12人か15人くらいが集まりましたが、そのうちの1人はFBIの情報屋でした。ですから、マルコムとネイション・オブ・イスラムを監視する機関ということでいうと、このように国家機構が大変深く入り込んでいたのです。
もっと後になって—マルコムの暗殺事件をよく見てみると、我々はつじつまが合わないことがいくつかあるのに気づきました。ムスリム・モスク・インク[訳注:ネイション・オブ・イスラムを離れたマルコムが、彼に共感して一緒にネイションを去った人々を集めて結成した団体]の警備担当者のひとりだったジーン・ロバーツは、実は[ニューヨーク警察]特別職局のエージェントでした。マラブル教授は、マルコムと共に活動していた人たちの中には、ほかにも警察とFBIに情報を提供していた人がいたのではないかという問いを強調しています。
マルコムが暗殺された1965年2月21日には、いつもとは違うことがいくつか起きました。いつもなら、マルコムが集会を行ったオーデュボン・ボールルームには、20人以上の警察官が配置されたでしょう。この日には、制服警官が2人しかみられませんでした。つい1週間ほど前にマルコムの自宅が爆破されたばかりだったのに、なぜこんなに大幅に警備が削減されたのか、疑問です。このような問いを、本の中で教授は投げかけています。
ゴンザレス: 問いといえば、マルコムを等身大に描くということに関して批判の声をあげている人たちがいます。マニング・マラブル氏は、守るべき限界を逸脱している、本の中でマルコムの個人的な私生活について、はっきり確認がとれていないことまで採り上げて、マルコムの顔に泥を塗ったと言っていますが、どう思いますか?
アリ: マラブル教授がめざしたことは、アクセスできる限りのあらゆる既存の資料を駆使して、できる限り包括的なマルコム観を描くことだったと思います。議論の余地はあると思います。歴史上の人物に注目する際、人々は常にどこまでが公人の部分でどこからが私的な部分か、境界線を理解しようとします。この本の中で、マラブル教授は、ご自分でここまでと決めた線を引いています。とはいえ、この本の圧倒的なアイディアは、人物評価ではなく、全編に一環している、深い共感をもちながら、批評的ありながら人を動かさずにはおかないマルコムのイメージです。マラブル教授は、我々がリサーチャーとして一緒に仕事をした時、このような問題について我々と進んで話し合い、論じたということを申し上げておきたいと思います。どのような扱いをすべきかに関して、しっかり取り組んでいらっしゃいました。この任務に軽々しくアプローチなさったとは思いません。
グッドマン: ザヒール・アリさん、番組へのご出演、本当にありがとうございました。マラブル教授の博士課程の教え子で、『マルコムX:作り直された人生』のキーリサーチャーでした。  ザヒール・アリさんは、マルコムXの生涯と遺産に焦点をあてる、コロンビア大学のマルコムXプロジェクトのアソシエイト・ディレクター兼上級リサーチャーでもありました。休憩後、マイケル・エリック・ダイソン、ハーブ・ボイド、アミリ・バラカ各氏による座談会をお届けします。そのまま、お待ちください。

参考リンク:『マルコムX 自伝』を問い直す マニング・マラブルの新たなマルコム像(日本語動画)
http://democracynow.jp/video/20070521-1

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