2013年7月24日水曜日

ミシェル・アレグザンダーが語るトレイボン・マーティン射殺事件:ジマーマンのようなものの見方が黒人の若者を危険にさらす

フロリダ州で17歳の黒人少年トレイボン・マーティンが自警ボランティアのジョージ・ジマーマンに射殺された事件で、無罪評決が下されました。雨の降る夕方、父親とガールフレンドが住む住宅地を訪れ、お菓子と飲み物を買いに外に出た時、フードをかぶったみかけない黒人を不審人物だとみなしたジマーマンは、通報した警察から「後を追うな」と言われたにもかかわらず追跡し、もみあいの末、もっていた銃でマーティンを射殺しました。無罪評決は大きな波紋を呼び、地元フロリダはもちろん、ニューヨークなど全米各地で評決に不満をもつ人たちのデモが行われました。
ベストセラーThe New Jim Crow: Mass Incarceration in the Age of Colorblindness(『新たなジム・クロウ:人種差別がみえなくなった時代の大量投獄』)』)の著者、ミシェル・アレクサンダーはデモクラシーナウ!でマーティンの死を引き起こし、犯人が無罪になった偏見は米社会と米国の刑事司法制度そのものに深く根付いていると言います。
以下、番組のエッセンスを訳してみました。(大竹秀子)

http://democracynow.jp/dailynews/2013-07-17
こちらも必見です、字幕付参照動画:新たな黒人隔離:カラーブラインド時代の大量投獄


エイミー・グッドマン オハイオ州コロンバスからミシェル・アレグザンダーさんの声を聞きましょう。公民権運動家で弁護士、ベストセラー書The New Jim Crow:Mass Incarceration in the Age of Colorblindness.(『新たなジム・クロウ:人種差別がみえなくなった時代の大量投獄』)の著者です。ミシェル・アレグザンダーさんは、最近、次のような文を書きました。「有罪を宣告されるべきは、ジマーマン氏自身以上に、ジマーマン風なものの見方だ。黒人の男や少年を脅威以外の何ものでもなく、何の役にも立たないとみなし、誰であろうと何をしていようとだめなんだとさえ思い込む。ジマーマン的なこのようなものの見方が世界史に前例の無い刑罰制度を誕生させ、何百万もの人々をカースト以下の存在に永遠に追いやっている」

ミシェル・アレグザンダーさん、デモクラシー・ナウに再登場、ありがとうございます。事件について大局的見地からお話しください。



ミシェル・アレグザンダージョージ・ジマーマンが無実の人を殺したのは明らかです。トレイボン・マーティンがもし白人に生まれていたら、いまもまだ生きていただろうということも。もしトレイボンが白人だったら、ジマーマンの後をつけられることもなかったし、ジョージ・ジマーマンと闘うはめにもならなかったでしょう。もみあいは起きず、裁判、判決もなく、少年が命を落とすこともありませんでした。
米国の民主主義と人種の現在にとってこの事件がどんな意味をもつかに思いをはせるなら、大切なのは誰がいつどこでどう言ったというような細かいことをほじくることではなく、むしろ一歩さがってジマーマンのこのようなものの見方を検討してみることだと思います。スキットルのキャンディとアイスティだけを手にご近所を歩いている少年を脅威だとみる見方です。黒人の男や少年は問題だからなんとかしなくては思うのも、このような見方に基づいています。こんな見方が米国の刑事司法制度や学校、政治に染みこみ、とんでもない結果を生んでいます。世界史に前例の無い刑務所制度が生まれ、何百万もの人々が基本的な人権と公民権を剥奪され、犯罪者、重罪犯というレッテルを貼られています。このような見方をもとに、おおむね人種と階級をもとに、一部の人々は基本的なケアや考慮に価せず、苛酷に扱ってもかまわないとみなされ、刑事免責の対象外とされます。こうして刑務所産業複合体が生まれ、刑務所の檻に封じ込められた人々への無関心が生まれ、ゲットー化したコミュニティに人々を閉じ込めます。

もしもジマーマンが警察官だったなら

ナーミーン・シェイク ミシェル・アレグザンダーさん、もしジマーマンが警察官だったら、話題にもならなかっただろうと指摘しましたね。どういう意味ですか?
ミシェル・アレグザンダートレイボン少年をプロファイリングして後をつけ対決しようとしたジョージ・ジマーマンの行動が、怒濤のような怒りと懸念を生みましたが、それはジマーマンが一介の民間人だったからです。けれども、ジョージ・ジマーマンがやったのとまったく同じことを、警察官は標準的な職務手順として毎日行っています。私たちは、このような警察のプロファイリングや黒人やラティーノの若者や男性に対するストップ&フリスク[訳注:警察官による路上でのぬきうちの尋問や身体検査。マイノリティ、特に黒人とラティーノの男性が圧倒的に多くの対象とされている]を許してきました。このような行動は、基本的な公民権に違反しているとわかっていながら、このような行動の継続を長年にわたり、許してきました。
一般人が銃弾を装填した武器を手に、誰かの後をつけ、その人が何を携えているかをチェックするしようと全身を身体検査したりすれば、犯罪とされます。間違いなく、犯罪です。凶器を手にした暴行、加重暴行です。ところが、これと同じことを警察官を行うと「ストップ&フリスク」と呼ばれます。
ご存知のように、ストップフリスク政策は、全米で日常的に行われています。ニューヨーク市だけでも、年に60万人以上もの人々が、路上でとめられ身体検査されています。圧倒的に黒人やラティーノが対象、ほとんど全員がまったくの無実です。似つかわしくない場所にいるとか、うさんくさいというだけで、いやがらせを受けています。トレイボン・マーティンはご近所にとって脅威だと判断した時に、ジョージ・ジマーマンが使ったのは、この種のステレオタイプと直感です。警察官はいつでもこれを使っています。
人種上の正義に心をくだく我々の多くが、黒人の若い男性と少年に対するこのように習慣と化した、ステレオタイプとプロファイリングに対し、もっと大規模に早く大きな声をあげていれば、トレイボン・マーティンの命は救えたかもしれません、私たち市民が、このような習慣をあまりにも長く許してきたために、ジョージ・ジマーマンはあの夜、差別的なものの見方にのっとって行動してもかまわないのだと大胆にも感じたのだと思います。

「危険」で「厄介」な黒人を「ふつうの市民」の座から追放する米国の刑事司法システム 

エイミー・グッドマン:マリッサ・アレグザンダーさんの事件についても聞かせてください。31歳のアフリカ系アメリカ人で3児の母親ですが、銃を発砲したために刑期20年の判決を受けました。ご本人は、夫の虐待に対して警告を発するために撃ったと主張しています。正当防衛のため夫のそばの壁に向けて発砲したのだと言いいます。有罪を認めれば3年くらいの刑期だったのですが、司法取引を拒否しました。フロリダ州のStand Your Ground 法(訳注:銃産業などが後押しして全米30州以上で採択された新しいタイプの正当防衛法。従来の正当防衛法が、まず逃げることを危険を回避することが義務づけられていたのが、身に危険を感じたら武器を使ってでも防衛する権利を認め、過剰防衛による訴追を免れやすくした)による弁護を試みましたが、3月12日に陪審はたった12分間の審議の末、有罪とし、フロリダ州の「10‐20‐終身」と呼ばれる、状況にかかわらず特定の銃犯罪に対してくだされるべき量刑の下限(mandatory minimums)を定める法律にのっとって20年間の刑期を判決されました。この事件の検察官は、トレイボン・マーティン事件で特別検察官だったアンジェラ・コーリー氏で、ジョージ・ジマーマンに対しては、第2級殺人罪を求刑しました。ミシェル・アレグザンダーさん、フロリダ州の法律について、そしてこの必要的最低量刑(mandatory minimums)一般について、ご意見を聞かせてください。
ミシェル・アレグザンダー はい。いまお話しに出た事件は、このStand Your Ground法がいかに差別的に適用されているかのまさに好例です。夫の虐待から身を守るために宙に向けて発砲した女性が20年の刑を言い渡され、人種的なステレオタイプとあやしげに見えるというだけで後をつけたジョージ・ジマーマンは、まったくの潔白とされます。女性の方は、フロリダ州や全米各地で実施されている苛酷な必要的最低量刑により、20年の刑期を与えられました。
必要的最低量刑に基づく判決は、いったん有罪が決まると、判事にも情状酌量の余地がありません。麻薬犯罪に対する苛酷な必要的最低量刑が議会で通過したのは、1980年代で、麻薬戦争の一貫として「厳罰化」の動きが生まれた時です。この判決によって我が国の刑務所ブームの火に油が注がれ、また、特にクラックに必要的最低量刑を課したことにより、人種的格差がいっそう悪化しました。
ジマーマンのものの見方もこれで、主に人種と階級をもとに、一定の人々は問題であり苛酷に扱う必要があり、ただ閉じ込めてしまおうと考えます。このような考え方から必要的最低量刑がどしどし採用されるようになりました。ジマーマンのようなものの見方を本気でとめようと思うなら、自警的な司法に終止符を打つだけではだめです。ジマーマンのようなものの見方を反映している必要的最低量刑のすべてを撤廃するよう力を注ぐ必要があります。特定の人々をごみのように扱い、問題を抱える人間としてではなくその自体が問題なのだとみなし、廃棄してしまおうとする考え方です。


オバマ政権がやるべきこと

ナーミーン・シェイフ ミシェル・アレグザンダーさん、エリック・ホルダー司法長官のことばをどう思いますか司法省の動きは、犯罪司法制度に関していまおっしゃったような傾向に対処していると思いますか
ミシェル・アレグザンダー: ジョージ・ジマーマンの事件に関して、連邦の公民権法に基づいてジマーマンを訴追することが可能かcおうか調査を継続するのは、正しいことだと思います。司法省が実際にジマーマンを訴追することにはまずならないだろうとは思いますが、調査を続行すると聞いて力づけられます。
とはいえ、この事件ひとつを調査するだけでは、なすべきことのほんの序の口にすら達しません。必要的最低量刑判決を撤廃したり、刑務所産業複合体の創成を推進した立法をくつがえす権限は、ホルダー司法長官にはないでしょうが、全国的な論議と対話を促すことはできます。このような必要的最低量刑による判決は間違っており、差別的なものの見方に基づいていると言うことはできます。このような判決は、貧しい人たち、特に白人以外の貧しい人たちに対する圧倒的に懲罰的な姿勢から生じたものであり、すでに行われた害悪を元に戻し、こういった法を撤廃し、回復やリハビリを念頭にいれたアプローチをもつ犯罪司法制度を可能にすべきだと語るのです。司法長官にできるのは、これです。このような対話を学び開始するのに、彼以上にぴったりの立場にいる人はいません。けれども、オバマ政権はこれまで私たちが目にしてきたように、大統領も司法長官も口では人種に関する率直な対話を推進したいとくりかえしながら、人種の正義の問題に関し実際のイニシアチブやリーダーシップをほとんど取っていません。トレイボン・マーティンの悲劇を受けて、司法省がより勇敢で大胆なリーダーシップを発揮するよう望んでいます。
エイミー・グッドマン:ミシェル・アレグザンダーさん。ありがとうございました。

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