2014年6月8日日曜日

ユリ&ビル・コウチヤマ:ミシシッピの旅

フィルムメイカーのルネ・タジマ・ぺーニャ(Renee Tajima-Pena)が61日に亡くなったユリコウチヤマと夫ビルへのオマージュとしてYOUTUBEに載せたドキュメンタリーYuri & Bill Kochiyama: on the road in Mississippi (ユリ&ビル・コウチヤマ:ミシシッピの旅)は、心あたたまる小編です。(大竹秀子)



DNJブログ『アンジェラとユリ:パワーって伝染する』

ユリ・コウチヤマさんの生涯と活動については、デモクラシー・ナウ・ジャパンのブログ『アンジェラとユリ:パワーって伝染する!』に書きましたので(是非、ご一読を!)、ここでは、ルネ・タジマ・ペーニャのドキュメンタリーYuri & Bill Kochiyama: on the road in Mississippi (ユリ&ビル・コウチヤマ:ミシシッピの旅)について、少しだけ付け加えたいなと思います。いまは亡きこのカップルへのオマージュとして作られたこの10分弱の小編は、ユリとビルが、南部ミシシッピー州の自分たちにゆかりのある地をめぐるロードムービーです


最初に訪れるのは、ローズデール(Rosedale)。若くして亡くなった長男のビリーがフリーダムライダーとして訪れた町です。20人近くものフリーダムライダーたちに宿を提供したお宅を訪問し、ビリーたちのがんばりでそれまで人種隔離され、黒人が中に入り食事するなんて想像すらできなかったレストランが黒人にも解放されるようになったことを知ります。

次に行くのは、キャンプ・ジェロームの跡地。第2次大戦初期ビルが入れられていた日系人収容所ですが、いまは更地です。収容所をブルドーザーで壊したという地元の人に出逢いますが、ここの人たちはそれまであまり日系人を見たことがなかったようで「家族や知り合いが亡くなれば、日系人も涙を流す。なんだ、白人と同じじゃないかと思った(「当たり前でしょうが」と言いたくなりますが、人種差別ってまさにこれなのです)」「収容所に閉じ込めるなんてひどいと思いましたよ」というようなことを言います(多分、南部の英語は聞くのはとっても難しい)。

最後は、ジェイムズ・チェイニーのお墓参りです。チェイニーは1964年に「フリーダム・サマー」に参加してKKKに殺された(この事件は映画『ミシシッピ・バーニング』に採り上げられたため海外でも広く知られるようになりました)3人の若者のうちの1人ですが、地元出身の黒人だった彼はほかの2人にもまして残酷な殺され方をしました。

フリーダム・サマーは公民権運動の一環として南部で投票権を奪われていた黒人たちの投票権登録を推進しようとするキャンペーンで、今年が50周年にあたります。ミシシッピー州の小さな町に、フリーダム・スクールやフリーダム・ハウス、コミュニティ・センターを開いて地元の黒人住民を支援しようとする、理想と正義感に燃えた若者たちを中心にする運動でした。長男のビリーも、そのためにニューヨークから南部に向かったのです。

チェイニーの墓前でユリは、「あなた方は消して消えることのない歴史を作り、大勢の人たちが、より良くより安全で平等な世界を求める闘いの後を継ぎました」と弔辞を読みます。

2009年リチャード・アオキの追悼会で。photo: Tony Grier©


筆者が最後にユリを目にしたのは、2009年オークランドで開かれたブラック・パンサーの日系人メンバー、リチャード・アオキの追悼会でした。車椅子で出席し弔辞を読んだのですが、高齢にもかかわらずその後の学生たちによる長時間のイベントにも最後までとどまり、彼女を慕って声をかける人たちの話に熱心に耳を傾けていました。アジア系研究も盛んなカリフォルニア大学場バークレー校ですので、式典にはアフリカ系はもちろんですが、アジア系の若者たちも数多く集まり、若者たちがユリに向ける熱い尊敬をまのあたりにする貴重な機会でした。
©2014 Hideko Otake. All rights reserved.

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