「米国のヨハネスバーグ」と呼ばれた激しい人種差別はびこるアラバマ州バーミングハムの牧師としてフレッド・L・シャトルズワース師は、公民権運動を自らも闘い、また闘う人々を助けた。1961年に「フリーダムライダーズ」の第1陣が近くのアニストンで暴徒の襲撃を受けた時には、ショットガンで武装した人々を率いて、救援にかけつけた。
「非暴力を信奉はしているが、まずは仲間を取り戻さねば」 こんな時には、あくまでも現実的なのだった。人種平等のための闘いという夢をかかげながら彼は現実を知っていた。迷うキング牧師のことを「マーティンは、時々、遅い。遅すぎるんだよ。考えこんで悩んでしまう。やらなきゃならない潮時ってものがあるんだよ」と叱咤激励することもあった。フリーダムライダーズの若者たちが非暴力を貫けたのも、シャトルズワース師のような人が脇を固めていてくれたから。2011年10月に逝去したシャトルズワース師の追悼記事を訳してみました。(訳:大竹秀子)
アラバマ州バーミングハム. (AP) — フレッド・L・シャトルズワース師が、亡くなった。公民権運動の闘いで爆弾の的になり、ぼこぼこに殴られ、何度も逮捕され、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア師にその勇気とエネルギーを称えられた人物だ。享年、89歳。
プリンストン・バプティスト医療センターのスポークスウーマンのジェニファー・ドットによると、シャトルズワース師はバーミングハムの同病院で(2011年)10月5日に逝去した。
シャトルズワースはトラックの運転手をしながら夜間、宗教を学び、1953年にアラバマ州バーミングハムのベセル・バプティスト教会の牧師になり、すぐさま人種平等を求める闘いのこわもての指導者になった。