2011年5月28日土曜日

オシー・デイビス:マルコムXへの弔辞


1965年2月27日に、フェイス・テンプル・チャーチ・オブ・ゴッドでのマルコムXの葬儀で、オシー・デイビスが読んだ弔辞です。2月21日、殺害されたマルコムXの告別式をハーレムの多くの教会は断りました。物騒な殺され方をし、敵も多く、暗殺者の背景もはっきりしないきな臭い段階で、マルコムXに関わる危険を恐れたのです。結局、爆破の脅迫にもめげずフェイス・テンプル・チャーチ・オブ・ゴッドが引き受け、公民権運動の活動家でマルコムX夫妻の友人、ハーレムの住人だったオシー・デイビスが葬儀の司会役を務め、歴史に遺る弔辞を述べました。(訳:大竹秀子)


英文はこちら:http://www.hartford-hwp.com/archives/45a/071.html


ここ—この最後の時に、この静かな場所で—ハーレムは、そのもっとも輝ける希望のひとつに別れを告げることになりました—希望はいまや消え、我々のもとから永遠に去ってしまった。ハーレムは彼が仕事し、もがき闘った場所でした—彼の心が住まい、彼の人々が住む、どこにもまして彼の家でした—ですから、私たちが—ハーレムで—もう一度集い、彼とのこの最後の時を共にするのは、何よりもふさわしいことです。

2011年5月27日金曜日

コーネル・ウェスト:マルコムXと黒人の怒り(抜粋:Part 2)



コーネル・ウェストの代表的な著作"Race Matters"(1994)、「マルコムXと黒人の怒り(Malcolm X and Black Rage)の抜粋試訳Part 2です。扱いを間違えれば火傷する。マルコムXの火のように熱い思想を現代にいかそうとするウェストの意気込みが伝わります。(訳:大竹秀子)
英文は、ここに。http://aad.english.ucsb.edu/docs/west.blk.rage.html



マルコムXの暗殺現場、オーデュボン・ボールルーム跡にできた「マルコムX、ベティ・シャバーズ記念教育センター
(The Malcolm X & Dr. Betty Shabazz Memorial and Educational Center)の壁画(Photo: Hideko Otake)

マルコムXへの現代の注目、特に黒人の若者たちが彼を注目するのは、黒人の怒りを率直かつ雄弁に表現白人、ユダヤ人、韓国人、黒人女性、黒人男性、そしてその他の人々をターゲットにした映画のビデオの中で、そして録音テープでのように)だからであり、また、文化産業向けの売り物になる商品という以上に、その怒りを何かへと導こうとする絶望的な試みだからだと考えていいだろう。黒人の若い世代は、黒人の都市住人としての日々の暮らしの中で、前例のない死と破壊、そして病いの力に立ち向かっている。ドラッグと拳銃、絶望と衰退というむき出しの現実は、むき出しの怒りを生むが、これまでの黒人の代弁者の中で、それに近づいたのは、マルコムXの演説だけだ。しかしながら、心の回心の問題、文化の混成、黒人至上主義、権威主義的な組織、セクシュアリティの境界と限界などはすべて、いまも不気味に立ちはだかっている。マルコムXが黒人の怒りを雄弁に語り、黒人の人間性を肯定して過ごした短い生涯の最後に未解決のまま残していった問題だ。

2011年5月25日水曜日

コーネル・ウェスト:マルコムXと黒人の怒り(抜粋:Part 1)

コーネル・ウェストの代表的な著作"Race Matters"(1994)から、「マルコムXと黒人の怒り(Malcolm X and Black Rage)の章からの抜粋の試訳を2回にわけてお届けします。なお、本書の全訳は、『人種の問題―アメリカ民主主義の危機と再生』(山下慶親・訳、新教出版社)というタイトルで出版されています。(訳:大竹秀子)





マルコムXは、米国史上、かつてないやり方で黒人の怒りを、雄弁に表現した。怒りを伝える彼のスタイルには、煮えたぎる切迫感と無鉄砲な率直さが見て取れた。彼が語った内容は、米国でアフリカ人の子孫が直面している、まぎれもない不条理―黒人の知性、美、特性、可能性への絶え間のない攻撃―を、大半のアメリカ人が認めようとしない、病みつきの拒絶を浮き彫りにした。いかなる代価を払っても黒人の人間性を肯定しようとする心底からの献身と米国社会の偽善を浮き彫りにする途方もない勇気により、マルコムXは、当時もそしていまも、黒人の怒りの予言者になった。