2011年4月26日火曜日

エレイン・ブラウン;ブラック・パンサーを語る Part 2


[続き]




質問15
マサイア資金はどうしたのですかサバイバルプログラムを実施する資金をどうやって得たのですか?

ブラウン行き当たりばったりでしたね。お金は得ていましたけど、きちんとした資金源なんてありませんでした。 政府のお金をもらっていたわけじゃありませんから。最終的には、ある時点で受け取りましたけれど。でも、初期には、政府のお金を受け取るなんていう気はさらさらありませんでしたから。私たちがやっていたのは、基本的にせびったり、借りたり、盗んだり、でした。そうやってお金を手に入れました。できることはなんでもやりました。

マサイアわかりました。 

ブラウン併せて、「寄付」も受け取りました。貧困プログラムで人が「寄付」と呼ぶようなものをもらっていました。食料品の寄付を受けましたし、サービスの寄付も受けました。ある意味で、教会は場所を寄付し、キッチンの使用を提供したわけだし、私たちは皿洗いをし、人々は朝食の調理をボランティアするなどしてサービスを寄付してくれました。そんな風にいきあたりばったりやってました。それでなんとかやってました。地域社会を取り込んでいく取り組みでした。でも、まあおおまかにいえば、せびって、借りて、盗んでいたといえますね。

エレイン・ブラウン;ブラック・パンサーを語る Part 1


エレイン・ブラウンは、元ブラック・パンサー党のメンバー。一時は、議長も務めました。著述家でシンガーでもあり、長年にわたり、「刑務所での権利を尊重する連合(Concerned Coalition to Respect Prisoners’ Rights)」などの団体を創設し、囚人や刑務所での権利を擁護する活動に力を入れています。ウェブサイトでみつけたこのインタビューは、PBSのドキュメンタリー番組「アイズ・オン・ザ・プライズⅡ」のために実施されたものを無編集のまま、アーカイブス用に書き起こしたものとみられます。撮り直しが行われたらしく、質問や回答に若干のダブりがみられるところもありますが、エレイン・ブラウンの「正直」な発言が聞かれ、ブラックパンサーの大変、貴重な記録です。(翻訳:大竹秀子)

                          
編集者注:インタビュー実施者:Blackside, Inc。実施日:19881014日。ワシントン大学図書館、フィルムとメディア・アーカイブ、ヘンリー・ハンプトン・コレクション。書き起こしには最終プログラムに登場しない素材も含まれます。

質問1

ルイス・マサイア 組織の中にいたあなたの目からみて、ブラックパンサーは、どんな人たちだったのですか以前あなたは、ブラックパンサーはいろいろな階級の結びつき、ストリートキッズもいれば、高学歴の人もいたと言いましたね。その辺のことを話してください。

エレイン・ブラウン いろいろな人たちがいましたが、階級の結びつきと呼べるかどうか。なぜかというと私たちの分析によれば、たとえば、黒人(ブラックピープル)はブルジョワ層にはいりませんから。ブルジョワ階級を私たちが代表するとはいえなかった。でも、ブラックパンサー党には幅広い層の人たちがまじりあっていたのは確かです。私たちは全員が皆、ユニークでした。ひとりひとりが、個性的だったと思います。出身地もばらばらでした。たとえば、ジョン・ハギンズ[注1]はニューヘイブンの出身で、ミドルクラスの出と言えた。かと思うと、バンチー・カーター[注2]は、ロサンゼルスのストリートキッズでした。ほかの人たちはその間のどこかにばらばらと位置していました。私たちは、いまではアンダークラス(底辺層)とよばれるようになった人たち、私たちがルンペン・プロレタリアートと呼んだ人たち、ストリートキッズ、最貧困の労働者階級の人たちを一番引きつけたといえると思います。




2011年4月19日火曜日

イザベル・ウィルカーソンとの対話:「タビス・スマイリー」ショーより


「タビス・スマイリー」ショー: ゲスト:イザベル・ウィルカーソン
20101223日放送

http://www.pbs.org/wnet/tavissmiley/archive/201012/20101223_wilkerson.html

イザベル・ウィルカーソンの新著"The Warmth of Other Suns”(ほかの太陽のぬくもり)は、2010年に誰もが読めるアフリカン・アメリカン史、ひいては米国史の大きな収穫として話題を呼んだ本でした。正味500ページを超える大著ですが、南部から北部へと600万人もの黒人が移動し国のありようを変えた大きな事件を、移動した人、ひとりひとりの物語をまるで映画のシーンのようにきめ細かくまざまざと描くことにより、共同体のソウルフルな叙事詩に変えてくれます。


たまたまいま読み返しているサスキア・サッセンの"Globalization and Its Discontents"の序文で、アッピアがこんなことを言っているのをみつけました。「記録された歴史を通して、男と女は大変な距離を旅してきた・・・交易、帝国、改宗を求めて、奴隷として・・・そうして、遠く離れた場所のものと思想をあわせて、多くの場所の物質的・精神的文化が築かれた」。公民権運動の前兆としての、そしてもしかしたら、その後のグローバリゼーションのお膳立てにもなっていったかもしれない、19世紀末から1970年代までの黒人たちの大移動の歴史が、いま書かれ語られることの意味も考えさせてくれるインタビューです。(大竹秀子)







イザベル・ウィルカーソンはニューヨークタイムズ紙のシカゴ支局長時代、黒人女性として初めてジャーナリスト部門でピュリッツァ賞を受賞しました。調査報道で受賞した初の黒人米国人でもありました。独特な物語風のスタイルで知られるウィルカーソンは社会政策問題に関して広範な著述を行い、ボストン大学はじめいくつかの機関で教鞭をとってきました。ジャーナリズムにとりつかれたのは、ハイスクールの生徒だった時。故郷ワシントンDCのハワード大学に進学したのも、候補として考えていた大学の中でこの大学の新聞がひときわ優れていたからでした。"The Warmth of Other Suns”(ほかの太陽のぬくもり)は、初めての本です。



タビス・スマイリー イザベル・ウィルカーソンは、ボストン大学のジャーナリズムの教授で、1994年にアフリカ系アメリカ人として初めてピュリッツァ賞ジャーナリストを受賞しました。新著の、"The Warmth of Other Suns: The Epic Story of America's Great Migration”(『ほかの太陽のぬくもり: 米国最大の移動の叙事詩的な物語』)が話題です。イザベル・ウィルカーソンさん、まず、おめでとうございます。番組にお迎えできて光栄です。

イザベル・ウィルカーソン 声をかけてくださってありがとうございます。

タビス いいえ、こちらこそ。「超ビッグ」ですね。どのくらいビッグかというと、ニューヨークタイムズ紙のベストセラーになり、ニューヨークタイムズ書評セクションの表紙を飾りました。いま、皆がこの本の話をしています。「いま」という言葉を強調したい。誰もがいまこの本の話をしています。でも、あなたご自身は、この物語―米国のありようのまさにその震源地ともいえる物語―を語るために、長年にわたる規律と勇気と確信と献身を捧げてきた。

この移動がなければいまの米国はなかったでしょう。でもこの物語を書くためにあなたは人生の15年間を費やした。あなたを困らせようと思って言うわけではないんですよ。でも、この米国の物語を語ることの重要性を思えば、これまでこんな風に語られたことがなかったことがむしろ不思議です。この物語にこれまで誰も手をつけなかったのは、なぜだと思いますか?