ことばを銃弾にと説いた詩人アミリ・バラカの追悼番組(democracynow.org)の翻訳です。動画にはバラカのパワフルなパフォーマンスも登場します。(大竹秀子)
1月9日はアミリ・バラカの命日です。アミリ・バラカ(1934年10月7日‐2014年1月9日)。ニューヨーク・タイムズ紙の死亡記事は、こんな風な文章で始まっています。「アミリ・バラカ。憤怒の詩人・劇作家。長年にわたり、アメリカでの黒人体験をまざまざと表現し、白熱の輝きを賞賛されるとともに、一部では扇動者とのそしりを得た」。1960年代と70年代には、バラカはブラックパワー運動を芸術の領域で体現した「ブラック・アーツ」運動の先鋒に立ちました。代表作といわれる『ブルースピープル』(1963)(リロイ・ジョーンズ名で執筆)はジャズの登場からビバップの誕生までの流れをアメリカの黒人史とのつむぎあいの視点でとらえた評論です。また戯曲『ダッチマン』(1964)は、レイシズムの恐怖を生々しく感じさせ、高い評価を得ました。
60年を超える政治的・社会的・芸術的な領域での活躍の中で、バラカの立ち居地は次々に変わります。「バラカ氏は初期のキャリアをビートニクとして、中期にはブラック・ナショナリストとして、晩年はマルキストとして過ごした。その立ち居地の転換は、時代の変化を映す鏡であるとも、本人の持ち前の移り気な気性を正確に表すバロメーターであるともみられた」と、ニューヨーク・タイムズ紙は、とげを感じさせる書き方をしています。「60年間にわたるバラカ氏の著作は、反ユダヤ、女嫌い、同性愛嫌悪、レイシスト、孤立主義、危険な過激派だとして、繰り返し糾弾された」のです。
「しかし」とタイムズ紙は追悼記事は続きます。「彼をチャンピオンと見る人も中傷する人も、彼がその最高の著作においてパワフルな発言者であり、魅惑的な演説者であり、国際的な文学シーンで、彼を愛そうが憎もうが、無視することはまず不可能な不朽の存在だと認めている」。
以下、「デモクラシー・ナウ!」が2014年1月10日にオンエアした追悼番組(英語原文のトランスクリプトはここ)を日本語に訳してみました。バラカの詩は、英語のまま遺してあります(詩の訳は難しすぎる!)。ただ、弁解でなくいえることは、バラカの詩は、目で見て耳で聴いてこそ、真価が輝きます。番組に織り込まれた迫力満点の朗読パフォーマンスをリンクした映像で満喫してください。