2011年11月26日土曜日

アッティカ刑務所の反乱から40年: 犠牲者多数の鎮圧を賞賛したニクソンとロックフェラー 新発見の録音テープで明らかに

1971913日、非人間的な扱いに抗議して起きたアッティカ刑務所蜂起を鎮圧し、刑務官を含む39人を死にいたらしめた当日の、ニューヨーク州知事ネルソン・ロックフェラーとリチャード・ニクソン大統領との電話でのやりとりの録音テープが発見されました。「殺された囚人は、全員、黒人だったのかい白人も少しはいたのかね?」とニクソンは聞きます。このテープの一部を報道したデモクラシー・ナウ!の番組「アッティカ刑務所の反乱から40年 新発見テープが示す犠牲者多数の鎮圧を賞賛したニクソンとロックフェラー」を全訳しました。司会はエイミー・グッドマンとフアン・ゴンザレスです。(翻訳:大竹秀子)

40周年を期して、ドキュメンタリー映画"The Ghosts of Attica"も公開された。

フアン・ゴンザレス: 40年前の今週、ニューヨーク州北部のアッティカ刑務所で、非人間的な扱いに抗議した囚人たちの蜂起はニューヨーク州の攻撃により終わりを告げました。武器を持たない囚人達は、4日間にわたり39人の刑務官を人質にしました。9月13日、ネルソン・ロックフェラー ニューヨーク州知事は、武装した州警察官に反乱の鎮圧を命じました。州警察は、2000発以上を無差別に発射しました。39人の死者のうち、29名が囚人、10人が刑務官でした。銃撃終了後、警察は数十人の囚人を殴り、拷問にかけました。
エイミー・グッドマン: 襲撃の日のリチャード・ニクソン大統領とロックフェラー ニューヨーク州知事との電話での会話を録音したテープが、発見されました。テープは大統領が暴力的な作戦を熱狂的に支持したことを明らかにしています。ロックフェラーは大統領に、攻撃前の想定では300人を超える囚人が殺害される可能性もあったのだが敢えて作戦を決行したとうちあけています。マンチェスターのニューハンプシャー大学の歴史学者、テレサ・リンチがこのテープを発見しました。

2011年11月25日金曜日

アッティカ刑務所暴動から40年:ブラックアジェンダ・ラジオ解説:ブルース・A・ディクソン

1971 年ニューヨーク州のアッティカ刑務所で起きた暴動は、「19世紀末に行われたインディアンの虐殺を除き、この4日間の刑務所暴動を終息させた州警察による強襲は、南北戦争以来アメリカ人の間で生じた最も血塗られた1日であった」と言わしめる惨状で終わった。それから、40年、ブラックアジェンダ・ラジオのブルース・ディクソンの解説です。音声は、ここから。(翻訳:大竹秀子)


40年前の今週[9月9日の週]、ニューヨーク州北部のアッティカ刑務所の囚人たちは自らの命と運命を危険にさらした。1200人収容を意図して設計された刑務所には、当時、その2倍近くが押し込まれ、囚人達は、シャワーは週1回、月1ロールのトイレットペーパーに制限されていた。何の理由もなく突然殴られたし、ムスリムへの宗教的な差別がはびこっていた。

「我々は人間だ。獣扱いはたくさんだ」と、囚人代表は宣言した。

2011年11月7日月曜日

スポンサー制度は問題! マーティン・ルーサー・キング師の記念碑とキング師を愛する ヒップホップ

ハリケーン・アイリーンの到来で延期されていたマーティン・ルーサー・キング師の記念碑の落成式が1016日に開催され、オバマ大統領や公民権運動の活動家が演説し、スティービー・ワンダーやアレサ・フランクリンがパフォーマンスを行ない祝賀ムードを盛り上げました。しかし、記念碑を問題視する人もいます。キング師が特に晩年に精魂かたむけた反戦や貧困との闘いの精神がワシントンでまったくいかされていない現在、記念碑はキング師の精神的遺産を葬り政治的に安全な偶像と化す欺瞞だとみるのです。ここでご紹介するのは、企業によるスポンサー制度を軸にキング師とヒップホップのブランド化を批判する「ブラックアジェンダ・ラジオ」のジャレッド・ボール(2001年8月31日に放送)の声です。(訳:大竹秀子)


 どんな運動にもシンボルとアイコンがある。だが、シンボルやアイコンは背景情報と内容から切り離されるとただのブランドになってしまう。 ブランドとは批判的思考を避けてできあいの欲望や想像に基づく記憶、都合の良い態度を見る者に引き起こすために使われるシンボルだ。 企業ヒップホップがキング師を歌うのは、首都ワシントンに建てられたキング師の記念碑への企業のスポンサーシップと同じで、キング師の革命的な意義を消し去り、変革的な内容を切り除き、キング師を我々のではなく彼らのイメージと目的に合わせてブランド化し直すのが目的だ。

2011年11月2日水曜日

コーネル・ウェスト:”キング師は草場の陰で泣いている”

2011年8月25日付ニューヨークタイムズ紙に掲載されたコーネル・ウェストの「キング師は草場の陰で泣いている」(Dr. King Weeps From His Grave”)を訳してみました。(大竹秀子)



マーティン・ルーサー・キング・ジュニア師の記念碑が日曜にナショナルモールで除幕された。ミシシッピー州でのエメット・ティル殺害からちょうど56年目、仕事と自由を求めた歴史的なワシントン行進から48年目にあたった。原注:ハリケーン・アイリーン襲来のため、記念祝典は延期された。
いずれもアメリカの人種と民主主義の怒濤の歴史の記念碑的出来事であり、2008年のバラク・オバマの大統領選出を頂点とした公民権運動の紛れもない成功が、私たちの関心と高揚感をかきたてるのは当然だ。とはいえ私たちは、「アメリカの未来はすべてキング師の衝撃と影響にかかっている」というラバイ・エイブラハム・ジョシュア・ヘッセルの予言的な言葉から逃れられずにいる。
ラバイ・ヘッセルがこの言葉を口にしたのは、キング師の晩年で、白人の72パーセント、黒人の55パーセントがベトナム反戦と米国での貧困の根絶に向けたキング師の取り組みに反対していた時だった。民主的なアメリカを求めるキング師の夢は、彼自身が言ったように、「根強くはびこるレイシズム、貧困、軍国主義、物質主義」により「悪夢」と化していた。キング師はアメリカを「病んだ社会」と呼んだ。1968年、暗殺されなかったら、次の日曜には「アメリカはなぜ、地獄に落ちかねないか」という説教をする予定だった。