家族と友人、葬儀でトロイ・デイビスの生涯を祝う
(CNN) -- 10月1日、トロイ・アンソニー・デイビスの追悼の集いを、死刑をめぐる熱い政治が彩ることになるのは、避けがたいことでした。
ジョージアの死刑囚監房で、20年間無実を叫び続けたデイビスに耳を傾けた数百万の支援者たちは、9月21日の夜の死刑執行は、州は誤まちを犯したと 信じています。
1日の土曜日、デイビスの遺族と親しい友人たちは、彼の生涯を祝すためにジョーンズビル・バプティスト教会に集まりました。
閉じた棺を大量の花が覆っていました。傍らには写真が2枚 -- カラーの1枚は、サバナのクローバーデイルで育った少年時代のポートレイト、白黒のもう1点は、殺人事件の裁判に出席した時のスーツ姿の青年の写真です。
出席した人々は、「トロイ・デイビスは私」というスローガンを何度も繰り返しました。助命嘆願のキャンペーンに使われ、ソーシャルメディアネットワークで蔓延したスローガンです。
「本日のプログラムの最後の2行を見てください。トロイ・デイビスは私。私は自由」とNAACP(全米黒人地位向上協会)会長のベンジャミン・ジェラスは語りました。
ジェラスと友人でデイビスの支援運動を担った弁護士のジェイソン・ユウワートなどが、薬物注射による処刑の前にデイビスが語った最後の言葉を伝えました。その中でデイビスは被害者となった警察官マーク・マクフェイル氏の遺族に哀悼の言葉を述べると共に、自分は無実だと語りました。
「彼の汚名が晴れるまで、ジョージア州が何をしでかしたかを認めるまで、私たちは闘い続けます」とジェラスは述べ、さらに 「死刑が廃止され、このようなことが二度と起こらないようになるまで闘いは続きます」と語りました。
マクフェイル氏は、デイビスの追悼が行われた教会からほんの数キロのバーガーキングの駐車場で、1989年8月19日の早朝に射殺されました。デイビスは裁判で有罪とされ、マクフェイル氏の殺人で1991年に死刑囚監房に送られました。
デイビスとその家族は、陪審がまちがった人物を有罪にしたと主張し続けました。
マクフェイル氏の遺族は、何年にもわたった裁判で苦しみ続けたと語っています。
事件は、裁判で彼に不利な証言をした証人数人が、後にデイビスに不利な証言をするよう強要されたと語ったため、物議の的になりました。
処刑にいたるまでには、何度も法廷で闘いが行われましたが、最終的に、デイビスの上訴は身を結びませんでした。
(中略)
デイビスの母親のバージニアさんは4月に亡くなり、もし生きていたら、間違いなく耐えがたい苦痛となったに違いない息子の処刑をみとどけることはありませんでした。デイビスの姉のマルチナ・コレイアさんと妹のキンバリー・デイビスさんは1日の葬儀に出席しました。コレイアさんの息子のデッジョーン・デイビス=コレイアさんも同席しました。
デイビス=コレイアさんは早産で生まれたので、叔父にあたるトロイは、はじめ抱くのを怖がったと語りました。1キロと600グラムしかなかったのです。
「僕が壊れてしまわないか心配だったんです」
でも叔父の守護のもと彼は元気な若者に成長しました。死刑囚監房のデイビスが甥の宿題を手伝い、カレンダーに試験の日の印をつけていたとデイビス=コレイアさんは語り、また、いまでは叔父さんの小型版だと人に言われる、それがとても自慢だと続けました。自分が生まれた時からずっと叔父は5百キロ近く離れた煉瓦の壁の向こうで暮らしていたけれど 「いつも我が家で一緒に暮らしているようでした」とも。
葬儀は一般に公開されましたが、埋葬には家族だけが立ち会いました。
1日の午後、人々が教会から外に出ようとしていた時に、自分のために努力してくれた世界中の支援者に向けてデイビスが録音したメッセージが流れました。
「今日、私たちが行うすべてが、より良い明日への道を開きます。力を合わせれば、間違いを正すことができます。闘いをあきらめないでください」とデイビスは述べました。
死者のその声が、聖なる教会をひたしました。
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